CHINESE HISTORY TIMELINE

中国史年表

「中国五千年史」- 新石器時代から現代まで、王朝・人物・出来事をスクロールして辿る

新
新石器文化
c. 8000 BC – 2070 BC

紀元前8000年、まだ「中国」という国はどこにもなかった。黄河のほとりに、長江のほとりに、稲を育て、彩色の土器を焼く人々が現れる。神話が伝える黄帝や堯、舜、禹——伝説と考古学の出土品が交錯するこの時代こそ、五千年の物語が静かに幕を開けた瞬間である。

夏
夏
c. 2070 BC – 1600 BC

禹が黄河の治水を成し遂げたとき、王位は初めて血統によって受け継がれた。伝説の聖王が位を譲り合う「禅譲」の時代は終わり、「世襲」の時代が始まる——夏、中国史上最初の王朝である。その実在は、今なお謎に包まれたままだ。

殷
殷(商)
1600 BC – 1046 BC

亀の甲羅や獣の骨に刻まれた文字が、三千年の沈黙を破って語り出す。それは中国最古の確かな文字記録、甲骨文——占いと祭祀に明け暮れた青銅器文明の記憶である。だが栄華を誇った王朝も、暴君・紂王のもとで炎に包まれ、崩れ去る。

周
西周
1046 BC – 771 BC

殷を討った武王は、新たな統治の理念を掲げる。「天命」——徳を失った王は天に見放される、という思想である。周公旦が礼と楽の制度を整え、後に孔子が理想とする秩序がここに築かれた。だが西方異民族の侵入により、都は陥落する。

春
春秋
770 BC – 403 BC

都を東へ逃れた周王朝は、もはや天下に号令する力を失っていた。名目だけの天子のもと、諸侯たちが覇を競い合う——斉の桓公、晋の文公。孔子が生まれ、諸子百家の源流が芽吹いたのも、この分裂と混沌の時代であった。

戦
戦国
403 BC – 221 BC

晋という大国が三つに割れたとき、もはや秩序も礼儀も存在しなかった。残ったのは、七つの強国が生き残りをかけて殺し合う剥き出しの弱肉強食——「戦国」の名にふさわしい二百年である。この果てに、天下は一人の男のもとへ収斂していく。

秦
秦
221 BC – 206 BC

紀元前221年、五百年におよぶ戦乱の果てに、天下はついに一人の男の手に落ちる。西の辺境から興った秦王政、後の始皇帝である。度量衡を統一し、文字を統一し、万里の長城を築き上げ、史上初めて「皇帝」を名乗った男。だが、その絶頂に築かれた帝国は、わずか十五年で崩れ去る——中国史上、もっとも劇的な統一と崩壊がここにある。

前
前漢
206 BC – 8 AD

始皇帝の帝国が崩れ去った後、天下を制したのは貴族ではなく、一介の農民出身の男・劉邦であった。武帝の代には版図を西域まで広げ、シルクロードが開かれ、儒教が国家の思想として定められる——四百年におよぶ「漢」の名は、こうして中国そのものの代名詞となった。

新
新(王莽)
8 AD – 23 AD

漢王朝の外戚として権力を握った王莽は、ついに帝位を簒奪し、みずから新王朝を開く。理想に燃えた復古的な大改革は、しかし現実の前にことごとく空転し、わずか十五年で天下は再び乱世へと逆戻りする。

後
後漢
25 AD – 220 AD

劉氏の血を引く劉秀が漢を再興し、都を洛陽に定める。紙の発明、西域経営の再開——文明はふたたび花開くが、宦官と外戚の権力争いは王朝の土台を静かに蝕んでいく。黄巾の乱の狼煙とともに、時代は英雄たちが割拠する乱世へと突入する。

三
三国
220 – 280

曹操、劉備、孫権——三人の英雄が天下を三分した、中国史上もっとも語り継がれる乱世である。赤壁の炎、五丈原に散った諸葛亮の夢。だが最後に笑ったのは、この三人の誰でもなかった。

西
西晋
266 – 316

魏の実権を握った司馬一族が、ついに三国を統一する。だが束の間の平和は長くは続かない。皇后の専横に端を発した「八王の乱」が同族相食む争いへと発展し、統一王朝はわずか五十年で瓦解へと向かう。

東
五胡十六国・東晋
317 – 420

北方の騎馬民族が次々と中原になだれ込み、華北には十を超える王朝が興っては消えていく——「五胡十六国」の大動乱である。漢民族の朝廷は江南へ逃れ、東晋として命脈を保つが、南北分裂の時代はここから二百年以上続くことになる。

南
南北朝
420 – 589

江南に南朝、華北に北朝——南北に分かれた中国は、それぞれ王朝の興亡を繰り返しながら二世紀近くを過ごす。北魏の孝文帝が推し進めた漢化政策、江南に花開いた貴族文化と仏教美術。分裂の裏側で、次の大統一への土壌が静かに耕されていった。

隋
隋
581 – 618

分裂した南北を、文帝がついに一つに束ねる。大運河を切り開き、科挙という新たな官吏登用制度を生み出した隋。だが二代皇帝・煬帝の度重なる遠征と大土木事業は民を疲弊させ、統一からわずか四十年足らずで王朝は炎上する。

唐
唐
618 – 907

隋の失敗を教訓に、李淵・李世民の親子が新たな帝国を築く。長安は世界最大級の国際都市となり、シルクロードを通じて文物が行き交う——中国史上もっとも国際色豊かな黄金時代である。だが安史の乱を境に、栄華の帝国は緩やかな衰退への道をたどり始める。

五
五代十国
907 – 960

唐が滅びると、中原には五つの短命王朝が目まぐるしく興亡し、地方には十の国々が割拠する。わずか半世紀の間に王朝が入れ替わり続けたこの乱世は、次の統一者・趙匡胤の登場によって、ようやく終わりを告げる。

北
北宋
960 – 1127

武断政治への反省から、趙匡胤は文治主義を掲げて新王朝を開く。科挙官僚が国を動かし、経済と文化は爛熟の域に達する——だが北方の異民族国家に圧迫され続けた宋は、軍事的には終始劣勢を強いられた。そして女真族・金の南下により、都は陥落する。

南
南宋
1127 – 1279

都を追われた宋の皇族は、江南に新たな都・臨安を築き、命脈を保つ。岳飛ら忠臣の奮戦もむなしく、金への臣従を余儀なくされながらも、経済と文化はむしろ江南の地でいっそう爛熟していく。だが北方に台頭したモンゴルの前に、この王朝もまた終焉を迎える。

元
元
1271 – 1368

モンゴル帝国の一部として、クビライが中国全土を初めて征服する——異民族による史上初の中国統一王朝である。東西交易は空前の規模で花開き、マルコ・ポーロもこの繁栄を伝えた。だが漢民族への統治は軋轢を生み続け、わずか百年足らずで反乱の炎に包まれる。

明
明
1368 – 1644

貧しい農民から身を起こした朱元璋が、モンゴルを北へ追い払い、漢民族の王朝を再興する。鄭和の大艦隊が七度にわたりインド洋を渡った時代もあれば、宦官が跋扈し国政が腐敗した時代もある——二百七十六年の栄枯盛衰の果てに、明は農民反乱と異民族の侵入によって滅びる。

清
清
1644 – 1912

満州族が山海関を越え、中国最後の統一王朝・清を打ち立てる。康熙・雍正・乾隆の三代にわたる盛世は、史上最大級の版図を築き上げた。だが阿片戦争を境に、この巨大帝国は列強の前に次々と屈し、二千年余り続いた皇帝支配の歴史そのものが、辛亥革命によって幕を下ろす。

民
中華民国
1912 – 1949

皇帝という存在が消え去った中国に訪れたのは、平穏ではなく軍閥割拠の混乱だった。孫文が掲げた共和の理想は、日中戦争、そして国共内戦という二重の嵐にもまれ続ける。そして1949年、この争いの結末が、新たな中国の姿を決定づけることになる。

今
中華人民共和国
1949 – 現在

国共内戦を制した共産党が、北京で新たな国家の樹立を宣言する。大躍進、文化大革命という激動と犠牲の時代を経て、鄧小平の改革開放がこの国を世界第二の経済大国へと押し上げていく——五千年の歴史は、今もなお書き継がれている。

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