南
南宋 / 1127 – 1279
1141戦争・動乱

岳飛がくひの死・金との和議

岳飛がくひは農民出身ながら卓越した統率力で「岳家軍」と呼ばれる精鋭を育て上げ、金軍を幾度も撃退して北伐を目前にしていたとされる。しかし主戦派の岳飛は、金との和平を優先する高宗・宰相秦檜しんかいの路線と対立し、「莫須有(あったかもしれぬ)」というあいまいな罪状のもとで投獄され、獄中で命を落とした。同年結ばれた紹興の和議しょうこうのわぎでは、淮河わいがを国境として南宋が金に対し臣下の礼をとり、毎年多額の銀・絹を歳幣として贈ることが定められ、南宋は屈辱的ながらも長期の平和を得ることになる。岳飛の死は後世「忠臣が奸臣に陥れられた悲劇」として語り継がれ、彼を祀る杭州西湖畔の岳王廟がくおうびょうには、今も秦檜夫妻を象った跪像が置かれ、参拝者から唾を吐きかけられる対象になっているという逸話が残る。

関連する建造物・国宝・人物
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建造物・遺跡
岳王廟
岳王廟がくおうびょう
杭州西湖畔に建つ岳飛がくひを祀る廟。境内には秦檜しんかい夫妻を象った跪像が置かれ、今も参拝者の非難の対象となっている。
写真: Morio / Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0
関連する人物
岳飛
南宋の武将。金への抗戦を主張し続けたが和平派に処刑された。後世「精忠報国せいちゅうほうこく」を体現した忠臣として神格化されている。
作: 劉松年(南宋・1214年)「中興四将図」より / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
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関連作品
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書籍・漫画
『射鵰英雄伝』(金庸) (1957)
書籍・漫画
『岳飛伝』(北方謙三)
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