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水滸伝とは?

梁山泊に集う108人の好漢と、史実の宋江

『水滸伝すいこでん』は、北宋末の徽宗の時代を舞台に、腐敗した役人や奸臣に追われた108人の好漢たちが梁山泊りょうざんぱくに集い、「替天行道(天に替わりて道を行う)」を掲げて戦う長編小説です。『三国志演義』『西遊記』『紅楼夢』と並ぶ中国の四大名著の一つに数えられます。物語のもとになったのは、北宋末に実際に起きた宋江の反乱でした。このページでは、あらすじや人物の紹介に加えて、梁山泊の実像や史実と物語の違いまで、水滸伝の世界をひととおりたどります。

あらすじ

1
好漢たちが集まる第1〜40回ごろ

朝廷の重臣・洪太尉が封印を解いたことで、108の魔星が世に放たれる場面から物語は始まる。やがて蹴鞠の腕ひとつで出世した高俅こうきゅうが軍の最高位に就き、その横暴によって禁軍の槍棒師範林冲りんちゅうは無実の罪で流罪にされる。晁蓋ちょうがいらは奸臣への誕生祝いの財宝「生辰綱せいしんこう」を奪い、役人の宋江そうこうは人を殺めて逃亡の身となる。それぞれの事情で世を追われた者たちが、次々と梁山泊へ向かう。

2
梁山泊の繁栄第41〜71回ごろ

宋江が梁山泊に迎えられると、各地の官軍や豪族との戦いを重ねるたびに好漢の数は増え、梁山泊は一大勢力に成長する。頭領の晁蓋が戦いで命を落とした後、宋江が跡を継ぎ、名士盧俊義ろしゅんぎも仲間に加わる。第71回で天から降った石碑に108人の名と星が刻まれていたことが明かされ、「替天行道(天に替わりて道を行う)」の旗のもと、108人の席次が定まる。

3
招安(朝廷への帰順)第72〜90回ごろ

宋江はもともと朝廷への忠義を捨てておらず、罪を許されて官軍となる「招安しょうあん」を望み続けていた。高俅ら奸臣の妨害を退けたのち、ついに梁山泊は招安を受け入れ、108人は朝廷の軍として北方の遼と戦う。120回本では、さらに田虎でんこ・王慶おうけいという反乱勢力の討伐が加わる。

4
方臘討伐と悲劇の結末第90回ごろ〜最終回

最後の戦いは江南で反乱を起こした方臘ほうろうの討伐である。激戦の末に方臘は平定されるが、好漢たちは次々と戦死・病死し、都へ凱旋できたのは3分の1ほどにすぎなかった。生き残った宋江も奸臣に毒酒を賜って世を去り、義兄弟の李逵りきも道連れとなる。梁山泊の物語は、忠義を尽くした者たちが報われないまま幕を閉じる。

時代背景:徽宗の治世

1100年に即位した徽宗きそうは、「痩金体」という独自の書体を生み出し、花鳥画の名手としても知られる芸術家肌の皇帝でした。その一方で政治への関心は薄く、宰相の蔡京さいけいや宦官の童貫どうかんらが実権を握って、朝廷の腐敗が進みます。

徽宗が庭園造りのために江南から珍しい石や木を都へ運ばせた「花石綱かせきこう」は、民衆に重い負担を強いました。各地で反乱や盗賊が相次ぎ、1120年には江南で方臘ほうろうの乱が起こります。宋江の反乱も、こうした社会不安のなかで起きた出来事の一つでした。水滸伝が「悪いのは皇帝ではなく、皇帝を欺く奸臣だ」という立場で書かれているのも、この時代の記憶を反映しています。

やがて宋は北方で台頭した金と結んで遼を攻めますが、その金に攻め込まれ、1127年の靖康せいこうの変で北宋は滅亡します。水滸伝の好漢たちが活躍したのは、北宋が滅びに向かう最後の十数年間でした。

年表:水滸伝の時代と成立

梁山泊はどこにあった?

梁山泊りょうざんぱくは架空の場所ではなく、現在の山東省梁山県りょうざんけんにある梁山りょうざんという小さな山のふもとに広がっていた湖沼です。「泊」は湖や沼を意味します。この一帯にはもともと古代から「大野沢だいやたく(鉅野沢きょやたく)」と呼ばれる沼沢地があり、五代から北宋にかけて黄河がたびたび決壊して水が流れ込んだことで、大きな湖に広がりました。

入り組んだ水路と葦の茂みに囲まれた梁山泊は、官軍が攻めにくく、北宋の時代には実際に盗賊の隠れ家になることがありました。水滸伝で「八百里の梁山泊」と語られる広大な水の要塞は、こうした土地の記憶をもとに誇張されたものです。

その後、黄河の流路が南へ移ったことで水が引き、湖は次第に干上がっていきました。現在の梁山は水滸伝の聖地として整備され、山上には物語にちなんだ忠義堂などが再現されています。近くの東平湖とうへいこは、かつての広大な水域の名残の一つとされます。なお日本語では、水滸伝にちなんで「優れた人物や野心家が集まる場所」のたとえとしても「梁山泊」という言葉が使われます。

実際の海岸線をもとにした位置関係図です。朱色の番号は下の各地点、水色の範囲は梁山泊のおおよその位置、金色の丸は宋の都・開封です。

開封(宋の都)1梁山泊2景陽岡3大名府4江州5睦州6海州
1
梁山泊りょうざんぱく好漢たちの本拠地。現在の山東省梁山県りょうざんけん付近。宋江が役人として勤めた鄆城うんじょう県もすぐ南にある。
2
景陽岡けいようこう(陽穀ようこく)武松ぶしょうが素手で人食い虎を退治した峠。
3
大名府たいめいふ盧俊義の故郷。梁山泊軍が攻め込み、盧俊義を救い出す。
4
江州こうしゅう流罪となった宋江が反逆の詩を書き、処刑されかける町(現在の九江)。
5
睦州ぼくしゅう方臘が蜂起した地(現在の浙江省淳安・建徳一帯)。物語でも最後の決戦の場となる。
6
海州かいしゅう史実の宋江が張叔夜に敗れて降伏した地(現在の連雲港)。

主要人物

梁山泊の好漢
宋江
宋江そうこう
第1位・天魁星「呼保義こほうぎ」

鄆城県の小役人。困った人に惜しみなく施すことから「及時雨きゅうじう(恵みの雨)」と慕われた。晁蓋の死後、梁山泊の首領となり、招安を実現させる。

呉用
呉用ごよう
第3位・天機星「智多星ちたせい」

村の塾の教師だった梁山泊の軍師。生辰綱強奪の計略を立て、以後も数々の作戦を指揮する。

林冲
林冲りんちゅう
第6位・天雄星「豹子頭ひょうしとう」

80万禁軍の槍棒師範。高俅の養子に妻を狙われ、罠にかけられて流罪となり、梁山泊へ落ちのびる。

魯智深
魯智深ろちしん
第13位・天孤星「花和尚かおしょう」

もとは軍官で、弱い者を助けるために人を殺めて出家した豪傑僧。全身に花の刺青がある。

武松
武松ぶしょう
第14位・天傷星「行者ぎょうじゃ」

景陽岡で素手で虎を打ち殺した英雄。兄を毒殺した潘金蓮はんきんれんと西門慶せいもんけいへの仇討ちでも知られる。

楊志
楊志ようし
第17位・天暗星「青面獣せいめんじゅう」

顔に青いあざのある武官。楊家将の楊業ようぎょうの子孫という設定で、生辰綱の護送に失敗して梁山泊へ加わる。

李逵
李逵りき
第22位・天殺星「黒旋風こくせんぷう」

二丁の板斧をふるう乱暴者だが、宋江を兄と慕って一途に従う。物語随一の人気者。

燕青
燕青えんせい
第36位・天巧星「浪子ろうし」

盧俊義に仕える美青年。相撲・弓・楽器に通じた多芸の人で、招安の実現にも一役買う。

朝廷・史実の人物
徽宗
徽宗きそう
北宋第8代皇帝

書画の天才だったが政治を顧みず、奸臣たちに国政を委ねた。物語では好漢の忠義を理解しながらも、奸臣に欺かれる皇帝として描かれる。

高
高俅こうきゅう
殿帥府太尉(物語の最大の悪役)

徽宗が即位する前に蹴鞠の腕を見込まれて取り立てられた人物。史実でも軍の高官に上ったが、物語では好漢たちを追い詰める奸臣の筆頭とされた。

張
張叔夜ちょうしゅくや
海州の知州

『宋史』によれば、海州に侵入した宋江の船団を焼き払って降伏させた。のちに靖康の変で金軍と戦い、捕らえられて北へ送られる途中で世を去った。

方
方臘ほうろう
江南の反乱指導者

1120年に睦州で蜂起し、一時は江南の広い範囲を支配した。翌年、童貫の率いる官軍に捕らえられて処刑された。

好漢の肖像: 清代(1883年)刊本『第五才子書水滸伝』挿絵 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)。徽宗: 『南薫殿図像』(国立故宮博物院蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

百八星の仕組み

水滸伝の108人は、天に輝く108の星の生まれ変わりとされています。上位の36人は「天罡星(てんこうせい)」、残る72人は「地煞星(ちさつせい)」と呼ばれ、それぞれに「天魁星」「地魁星」といった固有の星の名が割り当てられています。

第71回、梁山泊で天を祀る儀式を行うと、天から石碑が降ってきます。そこには108人の名と星、そして席次が刻まれており、これによって梁山泊の序列が天命として定まりました。好漢たちには「及時雨」「豹子頭」のようなあだ名(綽号)もそれぞれにつけられており、人物の特徴を一言で表しています。

席次上位10人
席次星名前あだ名
1天魁星宋江そうこう呼保義
2天罡星盧俊義ろしゅんぎ玉麒麟
3天機星呉用ごよう智多星
4天閑星公孫勝こうそんしょう入雲龍
5天勇星関勝かんしょう大刀
6天雄星林冲りんちゅう豹子頭
7天猛星秦明しんめい霹靂火
8天威星呼延灼こえんしゃく双鞭
9天英星花栄かえい小李広
10天貴星柴進さいしん小旋風

史実の宋江と物語の違い

正史『宋史』によれば、宣和年間(1119〜1125年)に宋江は36人の仲間とともに反乱を起こし、山東から淮南にかけての各地を荒らし回りました。官軍も手を焼くほどの勢いでしたが、1121年、海州かいしゅうに現れたところを知州の張叔夜ちょうしゅくやに待ち伏せされ、船を焼かれて降伏したと記されています。

降伏した宋江がその後どうなったかは、はっきりしません。同じ時期に起きた方臘ほうろうの乱の討伐に加わったとする記録がある一方で、方臘平定の後に宋江がなお盗賊として捕らえられたと読める史料もあり、研究者の間でも説が分かれています。こうした断片的な史実が、講談や芝居の中で108人の壮大な物語へと膨らんでいきました。

史実(『宋史』など)小説『水滸伝』
人数「宋江ら36人」と記録される。108人の好漢と、数万の兵を擁する大勢力。
本拠地山東から淮南にかけて各地を転戦した流賊で、梁山泊を根拠地とした記録は乏しい。梁山泊りょうざんぱくに堅固な山寨を築き、水軍で守りを固める。
結末1121年、海州で張叔夜ちょうしゅくやに敗れて投降。その後は記録が少なく、はっきりしない。招安を受けて官軍となり、遼・方臘と戦ったのち、奸臣に毒殺される。
方臘討伐投降した宋江が方臘討伐に加わったとする記録と、それと矛盾する記録があり、説が分かれる。梁山泊軍の最後の大戦として詳しく描かれ、好漢の多くがここで命を落とす。
高俅徽宗に重用された軍の高官。悪名高い「六賊」には数えられていない。好漢たちを苦しめる奸臣の筆頭で、物語最大の悪役。

水滸伝の成り立ちと版本

宋江たちの物語は、南宋の頃から盛り場の講談で語られるようになりました。元代の『大宋宣和遺事だいそうせんないじ』には、楊志ようしが刀を売る場面や、晁蓋ちょうがいらが生辰綱を奪う場面など、のちの水滸伝につながる筋書きがすでに見られ、元雑劇(元代の演劇)でも李逵りきらを主人公にした演目が数多く作られました。

こうした語り物や芝居を集大成して、明代に長編小説『水滸伝』がまとめられます。作者は施耐庵したいあん、あるいは施耐庵と羅貫中らかんちゅうの合作と伝えられますが、確かなことはわかっていません。水滸伝には長さや結末の異なる複数の版本があり、主に次の3系統が知られています。

100回本

明代の刊本。招安・遼との戦い・方臘討伐を経て、宋江の死で終わる。現存する版本の中で古い形を伝えるとされる。

120回本

明末の1614年ごろに刊行された『忠義水滸全書』。100回本に、田虎でんこ・王慶おうけいの討伐の20回分を加えた完全版。

70回本

明末清初の批評家金聖嘆きんせいたんが、108人の席次が定まる第71回までで物語を打ち切り、盧俊義ろしゅんぎの悪夢で締めくくった版。清代に最も広く読まれた。

日本での水滸伝

翻訳と読本(よみほん)江戸時代

18世紀半ばに『通俗忠義水滸伝』として翻訳が刊行され、庶民にも広く読まれるようになった。曲亭馬琴きょくていばきんは葛飾北斎かつしかほくさいの挿絵による『新編水滸画伝』の翻訳を手がけ、代表作『南総里見八犬伝』の構想にも水滸伝の影響が色濃く見られる。

歌川国芳うたがわくによしの武者絵江戸時代

1827年ごろから刊行された国芳の連作「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」は、全身に刺青を施した豪傑たちの躍動的な姿で大評判となり、国芳を武者絵の第一人者に押し上げた。江戸の刺青の流行にも影響を与えたといわれる。

小説・漫画・ドラマ近代以降

吉川英治よしかわえいじの『新・水滸伝』(作者の死により未完)、柴田錬三郎しばたれんざぶろうによる翻案、横山光輝よこやまみつてるの漫画などを通じて、水滸伝は日本でも繰り返し語り直されてきた。

北方謙三の「大水滸伝」シリーズを読む順番

北方謙三は、水滸伝を独自の解釈で書き直した『水滸伝』に続けて、『楊令伝』『岳飛伝』を発表しました。3作は一つながりの物語で、刊行順に読むのがおすすめです。

1
『水滸伝』
北方謙三 / 全19巻(集英社)

原典の骨格を借りながら、登場人物の設定や物語の展開を大胆に組み替えた長編。梁山泊を、腐敗した宋に挑む組織として描き直している。

2
『楊令伝』
北方謙三 / 全15巻(集英社)

『水滸伝』の続編で、北方版オリジナルの人物・楊令ようれいが主人公。梁山泊の志を継ぐ者たちの戦いを、北宋の滅亡と重ねて描く。

3
『岳飛伝』
北方謙三 / 全17巻(集英社)

シリーズの完結編。南宋の名将岳飛がくひを軸に、梁山泊の流れをくむ者たちの行く末が描かれる。

楊志の祖先にあたる楊業たちの物語は、楊家将とはのページで紹介しています。

水滸伝についてのよくある疑問

Q.水滸伝は実話ですか?

北宋末に宋江という人物が36人の仲間とともに反乱を起こし、官軍に降伏したことは『宋史』に記録された史実です。ただし108人の好漢の多くや、梁山泊を拠点とした活躍、招安後の遼・方臘との戦いといった物語の大部分は、講談や芝居を通じて膨らんだ創作です。

Q.梁山泊は実在した場所ですか?

実在しました。現在の山東省梁山県にある梁山のふもとに、黄河の氾濫によって広がった大きな湖沼があり、それが梁山泊です。その後、黄河の流路が変わったことで干上がり、今はその名残が近くの東平湖などに残っています。

Q.「梁山泊」が「豪傑や野心家の集まる場所」という意味で使われるのはなぜですか?

水滸伝で、世に容れられない優れた人物たちが梁山泊に集まったことにちなみます。日本語では、才能ある人々が集まって腕を競い合う場所のたとえとして使われます。

Q.楊志と楊家将には関係がありますか?

水滸伝の中で、楊志は楊家将の祖である楊業(楊令公)の子孫という設定になっています。北宋の武門の名家の末裔が、没落して盗賊の仲間入りをするという点に、物語の皮肉が込められています。

Q.70回本・100回本・120回本はどれを読めばいいですか?

物語の結末まで読みたいなら、招安から方臘討伐、宋江の死までを収めた100回本か120回本がおすすめです。70回本は108人が揃う最高潮の場面で終わるため、テンポよく読める一方、好漢たちのその後は描かれません。

北宋末の出来事や人物の詳しい解説は、年表・人物ページもあわせてご覧ください。