辛亥革命の広がりを受け、1912年1月、海外から帰国した孫文を臨時大総統として南京に中華民国臨時政府が樹立され、秦の始皇帝以来2000年以上にわたり続いた皇帝支配の歴史がここに終わりを告げた。しかし革命勢力は当時なお圧倒的な軍事力を握っていた北洋軍閥の実力者袁世凱と妥協し、清朝皇帝の退位実現と引き換えに大総統の地位を袁世凱に譲る「南北議和」を成立させる。この結果、孫文はわずか数か月で大総統を退き、首都も袁世凱の基盤である北京に置かれることとなり、南京臨時政府は短命に終わった。新国家は漢・満・蒙・回・蔵の五民族の融和協調を意味する「五族共和」の理念を掲げ、五色旗を新たな国旗に定めたが、その後まもなく袁世凱自身が独裁化を強め、一時的に帝政復活を企てる(洪憲帝制)など、成立当初から中華民国の共和体制は極めて不安定な出発を強いられることになった。