鮮卑拓跋部が建てた北魏は、太武帝拓跋燾の治世下で夏・北燕・北涼など華北に残っていた諸政権を次々と平定し、439年についに五胡十六国時代以来続いた華北の分裂状態を終わらせた。これにより中国は江南の宋(劉宋)と華北の北魏が対峙する南北朝時代へと本格的に突入する。北魏は北方の遊牧民族柔然としばしば戦火を交え、この頃の国境防衛の様子は後に「木蘭辞」として語り継がれる、女性が男装して従軍したという物語の時代背景にもなったとされる。太武帝は晩年に仏教を弾圧する法難を起こしたことでも知られ、その反動から次代以降には仏教を篤く保護する政策へと転じていくことになる。