五
五代十国 / 907 – 960
936対外関係

燕雲十六州えんうんじゅうろくしゅうの割譲

後唐こうとうの河東節度使であった石敬瑭せきけいとうは、朝廷から猜疑の目を向けられたことを機に反旗を翻し、自力での勝算に乏しかったことから北方の契丹きったん(遼りょう)の耶律徳光やりつとくこうに軍事支援を求めた。この援助の代償として石敬瑭は燕雲十六州えんうんじゅうろくしゅう(現在の北京・大同を含む北方の要地)を契丹に割譲し、さらに契丹皇帝に対して臣下の礼を取り「児皇帝」と自称することまで受け入れたと伝えられる。936年、契丹の後ろ盾を得た石敬瑭は後唐を滅ぼして後晋こうしんを建て皇帝となったが、この時に手放した燕雲十六州は中国側にとって北方防衛の要となる山岳地帯を含んでおり、以後の中原王朝は長らく北方民族に対する天然の防壁を失うことになった。この失地は北宋の時代に至っても回復されず、遼・金との緊張関係や後の靖康の変に至る北方情勢の根本的な弱点として、実に400年以上後の明初まで尾を引くことになる。

関連する建造物・国宝・人物
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関連する人物
石敬瑭(後晋高祖)
石敬瑭せきけいとう(後晋こうしん高祖)
後晋こうしんの建国者。契丹きったんの軍事支援と引き換えに燕雲十六州えんうんじゅうろくしゅうを割譲し「児皇帝」を称したことで知られ、後世にはこの決断が中原王朝の北方防衛を長期にわたり弱体化させたと評価される。
『中国歴代名人画像譜』(2003年刊) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
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