牧野ぼくやの戦いで殷を滅ぼした武王ぶおうが、渭水盆地いすいぼんちの鎬京こうけい(現在の西安付近)に都を置き、新たな王朝として周を開いた。周王室は「天命」という思想を掲げ、徳を失った殷に代わって天より統治を委ねられたとする形で自らの正統性を説明した。この天命思想は、以後の中国史において王朝交代を正当化する基本的な政治理念として長く受け継がれていくことになる。武王は即位後まもなく没したと伝えられ、その後は弟の周公旦しゅうこうたんが幼い成王せいおうを補佐して国家の基礎固めにあたった。