匈奴を挟撃する同盟相手を求めて大月氏へ向かった張騫であったが、道中で匈奴に捕らえられ十年以上抑留されるなど苦難の連続であった。ようやく脱出して大月氏にたどり着いたものの、すでに匈奴と戦う意思を失っていた大月氏から同盟の約束は得られず、当初の外交目的そのものは達成できなかった。しかしこの旅を通じて張騫がもたらした西域諸国に関する詳細な地理・物産・風俗の情報は、武帝の西域政策に決定的な影響を与え、以後の西域経営と交易路開拓の出発点となった。この交易路は後に「シルクロード(絹の道)」と呼ばれるようになり、中国と中央アジア・西アジア、ひいてはローマまでをも結ぶ東西交流の大動脈として機能していくことになる。張騫自身も帰国後に再度西域へ派遣されるなど、生涯を通じて漢の対外交流の礎を築いた人物として評価されている。