新
新(王莽) / 8 AD – 23 AD
AD 23戦争・動乱

王莽おうもうの死・新の滅亡

昆陽の戦いでの大敗を経て新政権の権威は完全に失墜し、更始帝こうしてい配下の軍勢が長安ちょうあんに迫ると都は陥落、王莽おうもうは宮中に追い詰められて殺害された。その遺体は怒った民衆によって切り刻まれたと伝えられ、最後まで理想を貫こうとした皇帝の末路は凄惨なものであった。こうして紀元8年の建国からわずか15年で新王朝は滅び、中国は再び前漢以来の「漢」の国号を掲げる勢力によって統一へ向かうことになる。もっとも新の滅亡後もただちに安定が回復したわけではなく、更始帝政権も内紛によりまもなく崩壊し、群雄割拠の状態がしばらく続いた。最終的にこの混乱を収めたのが緑林りょくりん軍出身の劉秀りゅうしゅうであり、紀元25年に彼が皇帝に即位して後漢を開くことで、ようやく漢王朝の再興が果たされることになる。