昆陽の戦いでの大敗を経て新政権の権威は完全に失墜し、更始帝配下の軍勢が長安に迫ると都は陥落、王莽は宮中に追い詰められて殺害された。その遺体は怒った民衆によって切り刻まれたと伝えられ、最後まで理想を貫こうとした皇帝の末路は凄惨なものであった。こうして紀元8年の建国からわずか15年で新王朝は滅び、中国は再び前漢以来の「漢」の国号を掲げる勢力によって統一へ向かうことになる。もっとも新の滅亡後もただちに安定が回復したわけではなく、更始帝政権も内紛によりまもなく崩壊し、群雄割拠の状態がしばらく続いた。最終的にこの混乱を収めたのが緑林軍出身の劉秀であり、紀元25年に彼が皇帝に即位して後漢を開くことで、ようやく漢王朝の再興が果たされることになる。