南宋を滅ぼしたことで新たに江南の水軍・兵力を動員可能となった元は、1281年、朝鮮半島から向かう東路軍と江南から向かう江南軍を合わせて約14万ともいわれる空前の大軍を日本へ差し向けた。しかし博多湾岸に築かれていた防塁に阻まれて上陸が思うように進まず、艦隊は長く洋上に留め置かれることを余儀なくされる。そこへ大型の台風が直撃し、多くの船が損壊・沈没する壊滅的な被害を受け、遠征は事実上崩壊した。この二度にわたる遠征失敗は日本側で「神風」思想を強め、以後の神国意識の形成に大きな影響を与える一方、元側でも遠征に伴う財政負担への不満が高まり、クビライは三度目の日本遠征を計画しながらも他地域での反乱や国内事情によって実現には至らなかった。