隋の文帝は将軍賀若弼・韓擒虎らに命じて長江を渡らせ、享楽的な生活で国力を落としていた南朝最後の王朝陳を攻めさせた。皇帝陳叔宝(陳後主)はほとんど組織的な抵抗ができないまま都建康で捕らえられ、南朝はあっけなく滅亡した。これにより西晋滅亡(316年)以来約270年、あるいは後漢末の分裂から数えればさらに長期間にわたって続いた中国の分裂状態がついに終わりを告げ、隋のもとで南北が一つの王朝に統合された。この統一によって江南の豊かな経済力と文化的蓄積が北の統治機構と結びつき、後の唐代における空前の繁栄を準備する基盤が形成されることになった。