成王とそれに続く康王の治世は、刑罰を四十年余り用いる必要がないほど天下が治まっていたと伝えられ、周王朝における理想的な太平の時代として後世長く語り継がれている。この時期に鋳造された青銅器「何尊」の銘文には、成王が周公の遺志を継いで東都成周(洛邑)の造営を進めたことや、「宅茲中國(この中国に居す)」という一節が刻まれており、これが現在確認できる「中国」という語の最古の使用例として知られる。安定した政治基盤のもとで周の勢力圏はさらに拡大し、諸侯を束ねる周王室の権威も最盛期を迎えたとされる。もっとも、こうした太平の記述は後代の理想化を含んでいる可能性もあり、史料の性格には注意が必要である。
→