隋
隋 / 581 – 618
612対外関係

高句麗こうくり遠征の失敗

煬帝ようだいは高句麗こうくりを服属させるべく612年から613年、614年と三度にわたり大規模な遠征を敢行し、初回の612年には100万を超えるとも伝えられる空前の大軍を動員した。しかし高句麗の将軍乙支文徳の巧みな誘引作戦により薩水さっすい(清川江)付近で隋軍は壊滅的な敗北を喫し、生還できた兵はごくわずかであったと伝わる。度重なる遠征の失敗にもかかわらず煬帝は遠征を強行し続け、莫大な戦費と兵力の損失、そして遠征のための重税と労役は民衆の不満を極限まで高めることになった。613年には遠征中に重臣楊玄感ようげんかんが反乱を起こすなど、高句麗遠征の失敗は隋末の混乱を一気に加速させる直接の引き金となった。