遼の支配下で女真族を統率していた完顔阿骨打は、遼の圧政に対する不満を背景に女真諸部族を統一し、1114年の寧江州の戦いで遼軍を破ると急速に勢力を拡大した。翌1115年、完顔阿骨打は皇帝を称して国号を金と定め、会寧(上京、現・黒竜江省)を都として新王朝を樹立した。当初金は遼への抵抗勢力として台頭したにすぎなかったが、燕雲十六州の奪還を悲願としていた北宋の徽宗政権はこれに着目し、金と結んで南北から遼を挟撃する「海上の盟」を締結するに至る。しかしこの同盟は結果的に宋にとって「引き狼入室(狼を家に招き入れる)」となり、遼滅亡後まもなく金は矛先を宋自身に転じることになり、北宋滅亡(靖康の変)へとつながる重大な布石となった。