チンギス・ハン以来急速に台頭したモンゴル帝国の攻勢を受け、かつて北宋を滅ぼした金は本拠を汴京(開封)からさらに南の蔡州へと追い詰められていた。南宋は北宋滅亡の宿怨を晴らす好機と捉え、モンゴルと同盟を結んで金を挟撃する「聯蒙滅金」の道を選ぶ。1234年、蔡州が陥落すると金の最後の皇帝哀宗は自害し、約120年続いた金は滅亡した。しかしこの選択は、約100年前に北宋が遼を滅ぼすため金と結び、結果的に金に滅ぼされた「聯金滅遼」の失敗をなぞるものであったとも評され、南宋は強大なモンゴルと直接国境を接することになり、以後の存亡の危機を早める皮肉な結果を招くことになった。