殷の紂王ちゅうおうによる失政と重税に対する諸侯の不満を背景に、西方で勢力を蓄えていた周の武王ぶおうが諸侯連合軍を率いて挙兵し、殷の都近郊の牧野ぼくやで決戦に及んだ。この戦いで殷軍の主力は総崩れとなり、紂王は宮殿に火を放って自ら命を絶ったと伝えられる。約550年続いたとされる殷王朝はここに滅亡し、以後は周王室を頂点とし、一族や功臣を諸侯として各地に封じる封建的な統治体制の時代が始まることになる。この王朝交代は、武力による天命の移行という形で、後の中国史における易姓革命えきせいかくめい思想の原型のひとつとなった。