後周の若い恭帝の治世下、契丹と北漢の連合軍来襲の報を受けて出征した将軍趙匡胤は、開封近郊の陳橋駅まで進んだところで部下の将兵に擁立され、黄色い衣(皇帝の象徴とされる黄袍)を着せられて皇帝に推戴されたと伝えられる、いわゆる「陳橋の変・黄袍加身」の故事である。趙匡胤は軍を開封へと引き返させると、まだ幼い恭帝に迫って穏便に禅譲を受け、流血をほとんど伴わない形で自ら皇帝に即位した。この政権交代は、それまでの五代の各王朝交代でしばしば見られた殺戮や粛清を伴う激しい権力闘争とは対照的に、比較的平和的に進められたことが特徴とされる。趙匡胤はただちに国号を宋と定めて開封を都とし、この即位が約半世紀にわたり中国を分裂させてきた五代十国の混乱に終止符を打つ最終的な転機となった。