晩年の煬帝は度重なる外征の失敗と各地で相次ぐ反乱を前に洛陽・長安を離れて江都(現・揚州)に逃れ、現実から目を背けるように享楽的な生活に浸っていたと伝えられる。もはや帰る場所を失いつつあった禁軍の将兵の間で不満が高まり、618年、将軍宇文化及らが反乱を起こして煬帝を殺害するに至った。これにより文帝の建国からわずか37年で隋は事実上崩壊し、各地の群雄が割拠する内乱状態に突入する。混乱の中で太原から挙兵した李淵が長安を制圧して煬帝の孫を一時擁立した後、まもなく禅譲を受けて自ら皇帝に即位し、新たに唐王朝を開くことになる。