隋
隋 / 581 – 618
618戦争・動乱

煬帝ようだい暗殺・隋の滅亡

晩年の煬帝ようだいは度重なる外征の失敗と各地で相次ぐ反乱を前に洛陽・長安ちょうあんを離れて江都こうと(現・揚州)に逃れ、現実から目を背けるように享楽的な生活に浸っていたと伝えられる。もはや帰る場所を失いつつあった禁軍の将兵の間で不満が高まり、618年、将軍宇文化及うぶんかきゅうらが反乱を起こして煬帝を殺害するに至った。これにより文帝の建国からわずか37年で隋は事実上崩壊し、各地の群雄が割拠する内乱状態に突入する。混乱の中で太原たいげんから挙兵した李淵りえんが長安を制圧して煬帝の孫を一時擁立した後、まもなく禅譲を受けて自ら皇帝に即位し、新たに唐王朝を開くことになる。

関連する建造物・国宝・人物
※ 画像はWikimedia Commonsのパブリックドメイン/CCライセンス素材を使用しています(各画像下にクレジット表記)
関連する人物
隋煬帝(楊広)
隋煬帝ずいようだい(楊広ようこう)
隋の第2代皇帝。大運河の建設や科挙制度の整備など後世に残る事業を進めた一方、度重なる外征と暴政により隋を短命に終わらせた皇帝として知られる。
伝: 閻立本(唐代)「歴代帝王図巻」 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
広告