「中国五千年史」- 新石器時代から現代まで、王朝・人物・出来事をスクロールして辿る
長安・洛陽は今どんな街? 歴史と観光地ガイド
唐の都・長安は今の西安、六朝の都・建康は今の南京、北宋の都・汴京は今の開封――。中国の歴代王朝が都を置いた古都の多くは、名前を変えながら現在も大都市として続いています。このページでは「中国八大古都」と呼ばれる8都市に、北魏の大同と蜀漢の成都を加えた10の古都について、都としての歩み、高層ビルや高速鉄道の駅が立ち並ぶ現在の街並みの写真、訪ねてみたい歴史的な観光地を紹介します。
実際の海岸線をもとにした中国の位置関係図です。朱色の番号は下で紹介する古都(現在の都市)、白丸は主要都市の目安です。 番号を押すと各都市の紹介へ移動します。
人口は2020年の中国の国勢調査(第7次全国人口調査)による市域全体の常住人口の概数です。中国の「市」は周辺の農村部も含む広い範囲を指します。
都とした王朝 西周・秦・前漢・新・前秦・北周・隋・唐など十余の王朝
渭水の流れる関中盆地の中心にあり、周の鎬京、秦の咸陽、漢と唐の長安と、約1100年にわたって都が置かれた「十三朝古都」。唐代の長安は人口100万を超える世界最大級の国際都市で、シルクロードの東の起点として西方の商人や留学生が集まり、日本の平城京・平安京の手本にもなった。唐の滅亡後は政治の中心が東へ移り、明代に「西安」と名を改められた。
現在は中国西北地方最大の都市で、航空宇宙・半導体などの産業と、多くの大学が集まる学術都市の顔を持つ。明代の城壁がほぼ完全な形で残り、その内側の旧市街には鐘楼・鼓楼や回族の人々が暮らす「回民街」の屋台街が広がる。古都の遺跡と高層ビル・地下鉄が同居する、中国有数の観光都市である。
明の洪武年間に唐の皇城を基礎として築かれた、周囲約13.7kmの城壁。上をレンタサイクルで一周できる。
周・漢・唐の至宝を集めた博物館と、歴代の名筆の石碑を集めた「石の書庫」。
都とした王朝 東周・後漢・曹魏・西晋・北魏・隋・唐(東都)・後唐など
黄河の支流・洛河のほとりにあり、天下の中心「中原」を代表する古都。東周以来、後漢・曹魏・西晋・北魏が都を置き、隋・唐では長安と並ぶ「東都」として栄えた。武則天は国号を周と改めると洛陽を「神都」と呼んで政治の中心とした。日本で都へ上ることを「上洛」というのは、この洛陽に由来する。
現在は河南省西部の中核都市で、トラクターなどの機械工業で知られる。毎年4月の「牡丹文化祭」には満開の牡丹を目当てに多くの人が訪れ、「牡丹の都」とも呼ばれる。市内には隋唐洛陽城の応天門が復元され、夜にはライトアップされた古都の景観を楽しめる。
後漢の時代、白い馬が経典を運んできたという伝説をもつ、中国で最初の仏教寺院とされる寺。
呉に討たれた関羽の首が葬られたと伝わる場所。三国志ファンの聖地の一つ。
隋の煬帝が築いた東都の宮城跡。武則天が建てた巨大な明堂・天堂が遺跡の上に復元されている。
都とした王朝 呉・東晋・宋・斉・梁・陳(六朝)・南唐・明(初期)・太平天国・中華民国
長江下流の要地で、三国の呉から南朝の陳までの「六朝」が都とした。華北が戦乱に揺れた時代、貴族文化や仏教文化が花開いた江南の中心であった。明の朱元璋は全長30kmを超える城壁を築いて都とし、のちに永楽帝が北京へ移したことで「南の都=南京」の名が定着した。近代には太平天国の首都、孫文の臨時政府と国民政府の首都にもなっている。
現在は江蘇省の省都で、長江デルタを代表する大都市の一つ。多くの大学をもつ教育都市でもある。明代の城壁は今も20km以上が残り、街路を覆うプラタナスの並木とともに古都らしい景観をつくっている。日中戦争中の1937年には南京事件が起き、その犠牲者を追悼する記念館も市内にある。
紫金山の中腹にある孫文の陵墓。392段の石段の上に祭堂が建つ。
現存する世界最大級の城壁。中華門は4重の門をもつ巨大な甕城で、兵を隠す洞窟も残る。
孔子を祀る廟を中心とした繁華街。夜は灯りのともる秦淮河を遊覧船でめぐれる。
清の両江総督の役所、太平天国の宮殿、中華民国の総統府と主を変えてきた建物。近代中国の歩みをたどれる。
都とした王朝 遼(副都)・金・元・明・清・中華人民共和国
古くは戦国時代の燕の都・薊があった地で、北方民族と漢民族の境目に位置する。遼の副都を経て、金が1153年に都「中都」を置き、元のクビライが新たに「大都」を築いた。明の永楽帝が1421年に南京から都を移して紫禁城を完成させ、以後清末まで約500年にわたって中国の政治の中心であり続けた。
中華人民共和国の首都として政治・文化の中心であり、人口2000万人を超える巨大都市。2008年の夏季五輪と2022年の冬季五輪を開いた世界で唯一の都市でもある。故宮を中心に南北へ貫く都市の軸線は「北京中軸線」として2024年に世界遺産となり、胡同と呼ばれる路地には伝統的な住まい・四合院が残る。
皇帝が豊作を天に祈った祭壇。青い瓦の円形の祈年殿が名高い。世界遺産。
清の西太后が海軍の予算を流用して再建したともいわれる皇室庭園。昆明湖と長廊が見どころ。世界遺産。
永楽帝以降、明の13人の皇帝が眠る陵墓群。地下宮殿が公開されている定陵が有名。世界遺産。
紫禁城の正門で、1949年に建国が宣言された場所。周辺の胡同は人力車でめぐるツアーも人気。
都とした王朝 戦国の魏・後梁・後晋・後漢・後周・北宋・金(末期)の「八朝古都」
黄河と運河が交わる交通の要衝で、戦国時代の魏の都・大梁に始まり、五代の諸王朝と北宋が都を置いた。北宋の都「東京」は人口100万ともいわれる商業都市で、夜まで店が開き、その賑わいは『清明上河図』に描かれている。1127年の靖康の変で金に攻め落とされた後は都に戻ることはなかった。
現在は河南省東部の中規模な地方都市で、1954年に省都の座を鄭州に譲った。黄河の氾濫で何度も土砂に埋もれ、その上に新しい街が築かれてきたため、地下には各時代の都が何層にも重なる「城摞城(城の上に城)」が眠っている。古い町並みと屋台の夜市、秋の菊まつりで知られる。
1049年に建てられた高さ約56mの仏塔。茶色い瑠璃煉瓦の色が鉄に見えることからこう呼ばれる。
北宋の皇宮があった場所に建つ清代の楼閣。両側に湖が広がる。
公正な裁きで知られる名判官・包拯(包青天)ゆかりの役所と祠。開封府は復元された建物。
都とした王朝 呉越(五代十国)・南宋
隋の大運河の南の終点として発展し、五代十国の呉越国が都を置いた。靖康の変で開封を失った南宋は、仮の都「行在」としてこの地を臨安と名づけ、約150年にわたり事実上の首都とした。元代に訪れたマルコ・ポーロは「世界で最も美しく華やかな都市」と称えたと伝えられる。
現在は浙江省の省都で、アリババの本社があることで知られるIT・ネット通販の一大拠点。2016年のG20サミット、2023年のアジア競技大会の開催地でもある。「上に天国あり、下に蘇州・杭州あり」とうたわれた水と緑の景観は今も健在で、西湖の周りでは龍井茶の茶畑も見られる。
白居易や蘇軾が堤を築いた湖で、「西湖十景」と呼ばれる名所が点在する。世界遺産。
東晋の時代に創建されたと伝わる古刹。境内の飛来峰には、岩壁に彫られた数多くの仏像が残る。
呉越国の時代に建てられた塔。雷峰塔は1924年に倒れて2002年に再建、六和塔は銭塘江を見下ろす。
都とした王朝 殷(後期)/近郊の鄴に曹魏(王都)・後趙・前燕・東魏・北斉
殷の王盤庚が都を移したと伝わり、約250年にわたって殷後期の都が置かれた。20世紀にここから甲骨文字を刻んだ骨や亀の甲羅が大量に見つかり、伝説とされていた殷王朝の実在が証明された。市の北の鄴は曹操が魏王として本拠とした都市で、のちに北朝の諸王朝も都を置いた。
現在は河南省北部の地方都市で、鉄鋼などの工業が盛ん。1988年に中国の古都に数えられ、「八大古都」の一つとなった。漢字のふるさととして文字の博物館があり、2009年には曹操の墓とされる「曹操高陵」の発見が発表されて話題を集めた。
甲骨文字から現代の漢字まで、文字の歴史をたどる国立の博物館。2009年開館。
曹操の墓とされる陵墓の上に建てられ、2023年に開館。埋葬された部屋を見下ろすことができる。
周の文王が殷の紂王に幽閉されたと伝わる地と、岳飛の故郷に建つ廟。ともに市南部の湯陰県にある。
1960年代に林州の人々が断崖を切り開いて手作業で築いた全長約1500kmの用水路。
都とした王朝 殷(前期)/周辺に夏の都の候補地も
市の中心部に、約3600年前の殷(商)前期の都の城壁「鄭州商城」が残る。殷を開いた湯王の都「亳」とする説と、のちの王仲丁が移った「隞」とする説がある。近郊の登封には夏の都とする説のある遺跡もあり、2004年に「八大古都」に加えられた。
現在は河南省の省都で、人口1200万人を超える中原最大の都市。南北・東西の幹線鉄道が交わる中国屈指の交通の要で、高速鉄道網の拠点となっている。スマートフォンの大工場がある工業都市としても知られる。
達磨が修行したと伝わる禅宗と少林拳の寺。五岳の一つ・嵩山にあり、周辺の古建築とともに世界遺産「天地之中」に登録。
嵩山の神を祀る廟、宋代の四大書院の一つ、元の郭守敬が天体観測を行った台。いずれも世界遺産。
中原で出土した青銅器や玉器を集めた中国有数の博物館。古代の楽器を使った演奏会も開かれる。
市街地に残る殷代前期の城壁の跡。遺址公園と博物館で整備されている。
黄河のほとりの景勝地。伝説上の帝王・炎帝と黄帝の巨大な像が山に彫られている。
都とした王朝 北魏(前期)/遼・金の副都
鮮卑族の北魏が398年に都を置いた「平城」の地。華北を統一した北魏の都として栄え、孝文帝が494年に洛陽へ都を移すまで約100年続いた。その間に雲岡石窟が彫られ、仏教文化の一大中心地となった。のちに遼と金も副都「西京」を置いている。
現在は山西省北部の都市で、長く「石炭の都」として発展してきた。近年は観光に力を入れ、明代の城壁を修復・再建して古い町並みを蘇らせた。万里の長城に近い、北方の古都の趣を残している。
断崖の中腹に張りつくように建つ寺。北魏の創建と伝わり、仏教・道教・儒教をあわせて祀る。
遼の時代に建てられた寺。11世紀の建物と仏像が残る。
明の皇族の屋敷の前に置かれた、9頭の龍を瑠璃煉瓦で描いた壁。
都とした王朝 古蜀・成家・蜀漢・成漢・前蜀・後蜀
秦の李冰が築いた都江堰の水利によって豊かな穀倉地帯となり、「天府の国」と呼ばれた四川盆地の中心。三国時代には劉備が蜀漢を建てて都とし、諸葛亮が国を治めた。唐の時代には杜甫がこの地に草堂を結び、五代十国の前蜀・後蜀も都を置いている。
現在は人口2000万人を超える西南地方最大の都市で、IT・電子産業の拠点。ジャイアントパンダの研究基地や、辛い四川料理・火鍋でも知られる。茶館でのんびり過ごす「ゆったりした暮らし」の街としても人気が高い。
安史の乱を逃れた杜甫が暮らした住まいの跡。竹林に囲まれた庭園になっている。
紀元前3世紀に築かれ、今も使われ続ける水利施設。道教の聖地・青城山とあわせて世界遺産。
古蜀文明の遺跡。金沙は市内、目の飛び出た青銅仮面で知られる三星堆は北へ約40kmの広漢市にある。
ジャイアントパンダの保護と繁殖を行う施設。朝の食事どきが観察のねらい目。
陝西省の省都・西安市です。漢の長安城は現在の市街地の北西に、隋・唐の長安城は現在の旧市街を中心とする一帯にありました。明代に築かれた今の西安城壁は、唐の皇城を基礎にしています。
西安・洛陽・南京・北京・開封・杭州・安陽・鄭州の8都市です。はじめは西安・洛陽・南京・北京の「四大古都」、開封を加えた「五大古都」と呼ばれ、のちに杭州・安陽(1988年)・鄭州(2004年)が加わりました。
初めてなら、兵馬俑や城壁がそろう西安と、故宮・長城のある北京が定番です。西安・洛陽・鄭州・開封は高速鉄道で結ばれているため、中原の古都をまとめてめぐることもできます。南京と杭州も上海から高速鉄道で1時間ほどです。
奈良の平城京や京都の平安京は、唐の長安城を手本にしたとされます。碁盤の目のような街路や、北の中央に宮城を置き南へ朱雀大路を通す配置は長安にならったものです。京都の東半分を「洛陽」、西半分を「長安」と呼んだこともあり、「上洛」「洛中」の「洛」はその名残です。
夏から中華人民共和国まで、どの王朝がどこに都を置いたのかを時代順にたどるページや、世界遺産のまとめもあわせてどうぞ。