1969年に中ソ国境で発生した武力衝突(珍宝島事件)を機に、中国は最大の脅威をソ連とみなすようになり、対抗上米国との関係改善に活路を見出そうとしていた。米国側もベトナム戦争の収拾を模索する中で中国との連携に戦略的な利益を見出し、1971年にはキッシンジャー大統領補佐官が極秘裏に北京を訪問して地ならしを行った。これを受けて1972年2月、ニクソン大統領が現職の米国大統領として初めて中国を公式訪問し、毛沢東・周恩来と会談を行うという、冷戦下では想像しがたい歴史的な出来事が実現した。この訪問の成果として発表された「上海コミュニケ」は、台湾問題をめぐる立場の違いを棚上げしながらも両国関係正常化への道筋を示すものとなり、正式な国交樹立は1979年までずれ込んだものの、既に1971年の国連総会で中国代表権が中華民国から中華人民共和国へ移っていたこととあわせ、中国の国際社会への本格的な復帰を大きく後押しする転機となった。