武王の弟であった周公旦は、幼くして即位した成王を補佐する摂政として国政を担い、殷の遺臣らによる反乱(三監の乱)を鎮圧して周王朝の基盤を安定させた。周公旦はまた、身分や場に応じた行動規範である「礼」と、それを支える音楽としての「楽」を体系化し、統治と社会秩序の両面を支える礼楽制度を整備したと伝えられる。この礼楽による統治のあり方は、後に孔子が理想とする政治のモデルとして繰り返し言及し、儒教思想の重要な源流の一つとなった。摂政としての任期を終えると自ら政権を成王に返上したとされ、その公明な人柄は後世「周公」として長く尊敬を集めることになる。