クビライの命を受けた元の将軍伯顔(バヤン)率いる大軍が長江を渡って南下し、南宋の防衛線は各地で相次いで崩壊していった。宰相文天祥らの抗戦の努力もむなしく、1276年にはわずか5歳であった恭帝と謝太后が降伏し、都臨安は無血のうちに元軍の占領するところとなる。捕らえられた文天祥はその後も元への服属を拒み続け、獄中で詠んだ「正気の歌」は後世忠節の象徴として広く愛誦されることになった。臨安陥落後も陸秀夫・張世傑ら忠臣たちは幼い端宗、続いて衛王昺を新たな皇帝として擁立し、華南沿岸を転々としながらなお三年近くにわたり抵抗を続けることになる。