「中国五千年史」- 新石器時代から現代まで、王朝・人物・出来事を年表と地図で辿る。日本史との対照や、歴史小説・漫画の紹介も
科挙とは、隋の時代に始まり、清の1905年に廃止されるまで約1300年続いた、中国の官僚を選ぶための試験制度のこと。「科目による選挙(人材の選び出し)」を意味し、家柄ではなく試験の成績で役人を選ぶという、当時の世界では珍しい仕組みだった。合格すれば貧しい家の出身でも高い地位と富を手にできたため、多くの男性が人生をかけて勉強に打ちこんだ。
科挙のしくみがもっとも整った明・清では、受験者は次の4段階を順に勝ち抜く必要があった。それぞれの合格者には呼び名があり、それ自体が社会的な身分になった。
| 試験 | 場所・時期 | 合格者 | ポイント |
|---|---|---|---|
| 1童試 | 県・府・省の学政 3年に2回 | 生員(秀才) | ここに受かると郷試の受験資格と、労役の免除などの特権を得る |
| 2郷試 | 各省の都(貢院) 3年に1回・秋 | 挙人 | 最大の難関。挙人になるだけで地方の名士として役人に任官できる道も開けた |
| 3会試 | 都(北京) 郷試の翌年・春 | 貢士 | 全国の挙人が集まる試験 |
| 4殿試 | 宮中 会試の直後 | 進士 | 皇帝が出題する形の試験で、落第はなく順位だけを決める |
出題の中心は『論語』『孟子』などの四書と五経で、答えは南宋の朱熹の注釈に沿って書くことが求められた。明代からは八股文と呼ばれる、対句を重ねる厳しい形式の論文が課され、内容よりも形式に合っているかが重視されたため、のちに「中身のない文章」の代名詞にもなった。
合格すれば一族の運命が変わる試験だけに、不正もあとを絶たなかった。米粒ほどの文字で四書五経を写した豆本や、肌着の裏一面に模範解答をびっしり書きこんだ「カンニング下着」が今も残っている。受験者は試験場の入口で服や持ち物を細かく調べられ、饅頭まで割って中を確かめられたという。答案は名前を糊で封じたうえ、筆跡でだれの答案かわからないよう別の人が書き写してから採点された。
不正が発覚したときの処罰は重く、清の1858年には北京の郷試で合格者の入れかえが明るみに出て、翌年、試験の責任者だった大学士柏葰が死刑になった。宰相級の高官でさえ処刑されるほど、科挙の公正さは国の威信に関わる問題だった。
北宋の改革者王安石、その政敵で『資治通鑑』を著した司馬光、詩人の蘇軾は、いずれも進士出身。朱子学をおこした朱熹は19歳で進士に合格した。南宋末に元と戦い続けた文天祥は状元だった。 王安石の人物ページ → 司馬光の人物ページ → 朱熹の人物ページ →
清末の洪秀全は、科挙の最初の段階(秀才になる試験)に4度落ち、その挫折の中でキリスト教の影響を受けた幻を見たとして宗教結社を作った。これがのちに清を揺るがす太平天国の乱になる。また唐末に大反乱を起こした黄巣も、科挙に落ちた塩の密売人だったといわれる。 太平天国の乱を年表で読む →
清代の小説『儒林外史』には、50歳を過ぎてようやく郷試に合格した范進が、知らせを聞いた瞬間に喜びのあまり正気を失ってしまう話がある。物語ではあるが、科挙に人生を捧げた人々の姿を皮肉たっぷりに描いた場面として、中国の教科書にも載っている。
殿試の成績上位3人のこと。1位を状元、2位を榜眼、3位を探花と呼び、この3人は「一甲」として特別に進士及第の称号を受けた。状元は3年に一度しか出ない全国の首席で、故郷には記念の門が建てられるほどの名誉だった。「状元」という言葉は、いまも中国で大学入試の各省トップを指す言葉として使われている。
時代や地域で大きく違うが、明・清でもっとも狭き門だったのは郷試で、受験者の多い江南(南京)では2万人近くが受けて合格者は100人あまりという年もあった。最終的な進士は清代で1回あたりおよそ200〜300人ほど。何十年も受け続ける人は珍しくなく、白髪の老人が若者と並んで受験する光景も見られた。
郷試と会試は3回の試験(3場)からなり、1回ごとに2泊3日、合計9日ほどかかった。受験者は貢院という試験場に並ぶ「号舎」と呼ばれる個室に入り、そこで食事も睡眠もとった。号舎は畳1枚ほどの狭さで、板を渡して机と椅子にした。南京の江南貢院には2万を超える号舎が並び、その一部は今も博物館として残っている。
建前では家柄に関係なく、男性なら受験できた。ただし女性は受けられず、役者や奴婢など一部の身分の人や、親の喪中の人も除かれた。また何年も勉強に専念するには経済的な余裕が必要で、実際の合格者は地主や商人など裕福な家の出身者が多かった。
日本は遣隋使・遣唐使を通じて律令制を取り入れ、役人の試験の制度も作ったが、実際には家柄による任官が中心で、中国のような科挙は根づかなかった。同じように宦官の制度も日本には入っていない。一方、朝鮮半島(高麗・朝鮮王朝)やベトナムでは科挙が本格的に行われた。唐に渡った阿倍仲麻呂は、唐の科挙に合格して役人になったと伝えられている。
科挙で選ばれた官僚と、皇帝の身近で権力を争った宦官の歴史や、後宮の位についても解説しています。