北周の外戚として重きをなしていた楊堅は、幼い静帝から禅譲を受ける形で隋を建国し、文帝として即位した。楊堅もまた宇文泰が組織した関隴集団の出身であり、南北朝末期の軍事貴族層から統一王朝の創始者が生まれるという流れを体現する人物であった。文帝は即位後ただちに中央官制や税制の整備に着手し、後の南朝陳征服とあわせて約300年ぶりとなる中国統一への道筋をつけていく。なお皇后独孤氏は政治にも強い発言力を持ち、文帝が側室を持つことを厳しく戒めたという逸話が伝わっており、後宮のあり方としては当時としては異色であったとされる。