五
五代十国 / 907 – 960
947王朝

後漢こうかんの建国

契丹きったん(遼りょう)の南下によって後晋こうしんが滅ぼされ一時的に開封かいほうが占領されると、契丹軍の過酷な統治や略奪に対して中原の民衆・地方勢力の抵抗が各地で強まり、契丹軍はほどなく北方へ撤退を余儀なくされた。この混乱に乗じて河東節度使劉知遠りゅうちえんが太原たいげんで皇帝を称し、契丹撤退後の開封に入城して後漢こうかんを建てた。しかし劉知遠は建国の翌年に病没し、跡を継いだ若い隠帝いんていが重臣たちを次々と粛清しようとしたことで軍の実力者郭威かくいの離反を招き、後漢はわずか4年というきわめて短い期間で崩壊することになった。五代の中でも後漢は最も短命な王朝であり、この政権の急速な瓦解が次の後周こうしゅう建国、さらには北宋の統一へとつながる連鎖の一齣となった。

関連する建造物・国宝・人物
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関連する人物
劉
劉知遠りゅうちえん(後漢こうかん高祖)
後漢こうかんの建国者。契丹撤退後の混乱に乗じて開封かいほうに入城し即位したが、まもなく病没し、後漢は五代の中で最も短命な政権として終わった。
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