永楽帝は、かつて自らが燕王として長年統治した本拠地北平を新たな首都と定め、1421年に正式に遷都を断行した。これは単なる立地の変更にとどまらず、北方の脅威であるモンゴル勢力に対し皇帝自らが最前線近くに座して国境防衛にあたるという「天子守辺」の姿勢を内外に示す政治的意味合いも強く持っていた。新首都建設にあたっては延べ100万人ともいわれる人員が動員され、四川・雲南の奥地から運ばれた貴重な金糸楠木や特殊な焼成技術による城磚などが用いられた壮麗な宮殿群、すなわち紫禁城が築かれた。旧都南京は「留都」として一定の官庁組織を残したまま副次的な地位にとどめ置かれ、以後紫禁城は清代末期に至るまで500年近くにわたり中国の政治的中枢であり続けることになる。