宦官王振の専横のもとで政治判断を誤った皇帝正統帝(英宗)は、北方のオイラト部族長エセンとの対決に際し、周囲の反対を押し切って自ら大軍を率いて親征に赴いた。しかし準備不足のまま行軍した明軍は、河北省の土木堡(現・懐来県)でエセン軍の急襲を受けて壊滅的な敗北を喫し、皇帝自身も捕虜となるという未曾有の事態を招く。この国家的危機に際し、兵部尚書于謙は動揺する朝廷をまとめて英宗の弟を新帝(景泰帝)に立て、エセンの人質としての英宗の価値を無効化した上で北京籠城戦(北京保衛戦)を指揮し、オイラト軍の攻撃を退けることに成功した。皇帝不在という空前の危機を乗り切った于謙の功績は高く評価される一方、後に釈放され帰国した英宗は復位を果たすと、自らを見限った于謙を処刑するという数奇な結末を迎えることになった。