周代以来の血縁を基盤とした封建制(分封制)を廃止し、全国を36(後に増設され40余り)の郡に分割、その下にさらに県を置く二段階の地方行政制度を導入した。丞相李斯の献策によるとされ、諸侯に土地を分け与えて世襲させる旧来の方式を排除することで、地方勢力が独自の軍事力を蓄えて中央に反旗を翻す危険を未然に防ぐ狙いがあった。郡には郡守(行政)・郡尉(軍事)・郡監(監察)という三権が分立する官職が置かれ、いずれも皇帝が任免する官僚が務め世襲は認められなかった。この制度は秦の滅亡後も漢以降の歴代王朝におおむね継承され、多少の変遷を経ながらも中国における中央集権的な地方統治の基本形として長く機能し続けることになる。