後
後漢 / 25 AD – 220 AD
AD 25王朝

光武帝こうぶてい、漢を再興

新末の動乱の中で緑林りょくりん軍から頭角を現した劉秀りゅうしゅうは、昆陽こんようの戦いでの勝利などを経て諸勢力をまとめ上げ、紀元25年に皇帝に即位して漢王朝の再興を宣言した。前漢の高祖劉邦りゅうほうから数えて九世の子孫にあたるとされるが、即位当初の実際の勢力基盤は乏しく、その後十数年をかけて各地に割拠する群雄を次々と平定し、ようやく中国全土の再統一を果たすことになる。都は前漢の長安ちょうあんではなく洛陽に定められたため、以後の時代は前漢と区別して「後漢」(または都の位置から東漢)と呼ばれる。即位後は度重なる戦乱で疲弊した社会を立て直すため、租税の軽減や奴婢の解放、官制の整理などの内政に力を注ぎ、その治世は「光武中興」と呼ばれる安定期として評価されている。武力による統一と柔軟な内政を両立させた統治手腕は、後世の皇帝たちの一つの模範ともされてきた。

関連する建造物・国宝・人物
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建造物・遺跡
漢
漢光武帝陵かんこうぶていりょう
河南省洛陽市孟津区にある光武帝こうぶていの陵墓。多数の古柏(古い柏の木)に囲まれた景観でも知られる。
関連する人物
光武帝(劉秀)
新末の動乱を収めて漢王朝を再興した後漢の初代皇帝。武力による統一と内政の立て直しを両立させた治世で知られる。
『聖君賢臣全身像冊』 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
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