儒学者董仲舒が武帝に上奏した「天人三策」の中で、儒学以外の諸学派を退け儒学のみを国家の正統な学問とすべきと説いたことを契機に、儒学が事実上の国教としての地位を確立していった出来事である。董仲舒は陰陽五行説を取り込みながら儒学を再構成し、天子の統治を天の意思と結びつける「天人相関説」を唱えて、皇帝権力に理論的な裏付けを与えたことでも知られる。武帝はこの献策を受けて五経博士を置き、官吏登用においても儒学の素養が重視されるようになったことで、儒学は単なる一学派から国家運営を支える体制教学へと変質していった。この転換は、それまで諸子百家が並び立っていた思想状況を大きく塗り替えるものであり、以後2000年近くにわたり中国の政治・社会・教育のあり方を規定し続けることになる。ただし在野での学問の多様性自体が完全に失われたわけではなく、道家・法家的な統治手法も実務面では併用され続けた点には留意が必要である。