劉淵の後を継いだ劉聡は、将軍石勒らに命じて西晋への攻勢を強め、311年に都洛陽を包囲・陥落させた。この際、都では略奪と虐殺が横行し、西晋の皇帝懐帝は捕らえられて漢(前趙)の都平陽へ連行され、後に殺害されるという屈辱的な結末を迎えることになる。この事件は当時の元号にちなんで「永嘉の乱」と呼ばれ、多数の官僚・貴族やその配下の民衆が戦乱を逃れて江南へ大規模に避難する「衣冠南渡」と呼ばれる移住の波を引き起こした。この南への人口移動は、それまで開発の遅れていた江南地方における農業開発や経済発展を促す結果となり、後の中国における経済的中心の南方移動の出発点の一つともなったと評価されている。一方、洛陽を失った西晋の残存勢力は長安へと逃れて命脈を保とうとするが、その支配はすでに華北の一部にとどまるまでに縮小していた。