CHINESE HISTORY TIMELINE
中国史年表

「中国五千年史」- 新石器時代から現代まで、王朝・人物・出来事をスクロールして辿たどる

年表トップへ戻もどる

西遊記とは?

孫悟空そんごくうたちの天竺てんじくへの旅と、史実の玄奘三蔵げんじょうさんぞう

『西遊記さいゆうき』は、唐とうの僧そう・三蔵法師さんぞうほうしが、孫悟空そんごくう・猪八戒ちょはっかい・沙悟浄さごじょうの三人の弟子を供に、妖怪ようかいたちの襲撃しゅうげきをくぐり抜ぬけながら天竺てんじく(インド)へ経典を取りに行く長編小説です。明代の16世紀に全100回の形にまとまり、『三国志演義』『水滸伝すいこでん』『紅楼夢こうろうむ』と並ぶ中国の四大名著の一つに数えられます。物語のもとになったのは、唐とうの時代に実際にインドへ旅した僧そう・玄奘げんじょうの大旅行でした。このページでは、あらすじや登場人物に加えて、玄奘げんじょうの旅の道のりや史実と物語の違ちがいまで、西遊記の世界をひととおりたどります。

三蔵法師と三人の弟子
三蔵法師と悟空ごくう・八戒はっかい・悟浄ごじょう。白骨夫人の話で、三蔵が悟空ごくうを追い払はらおうとする場面とされる(北京・頤和園いわえんの長廊ろう) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

あらすじ

1
孫悟空そんごくうの誕生と天界での大暴れ第1〜7回

東勝神州の花果山かかざんの石から生まれた猿さるは、水簾洞すいれんどうを見つけて猿さるたちの王「美猴びこう王」となる。不老不死を求めて仙人せんにん・須菩提祖師すぼだいそしに弟子入りし、「孫悟空そんごくう」の名と、觔斗雲きんとうん・七十二変化の術を授かる。東海竜王りゅうおうから如意金箍棒にょいきんこぼうを手に入れ、天界に招かれても馬の番人「弼馬温ひつばおん」の役に怒おこって暴れ、「斉天大聖せいてんたいせい」を名乗る。蟠桃ばんとうや仙丹せんたんを盗ぬすみ食いして天界の軍勢と戦い抜ぬくが、最後は釈迦如来しゃかにょらいの手のひらから逃のがれられず、五行山ごぎょうざんの下に500年間封ふうじ込こめられる。

2
取経の始まり第8〜12回

釈迦如来しゃかにょらいは、東の国(唐とう)に大乗だいじょうの経典を伝えるため、西天まで経を取りに来る者を探すよう観音菩薩かんのんぼさつに命じる。一方、唐とうでは太宗たいそうが冥界めいかいをめぐってよみがえる騒動そうどうがあり、死者を供養くようする大法会が開かれる。その場で観音の導きを受けた若き僧そう・玄奘げんじょうが、太宗から「三蔵さんぞう」の号を授かり、天竺てんじくへの旅に出ることになる。

3
仲間がそろう第13〜22回

三蔵は五行山で孫悟空そんごくうを救い出し、最初の弟子とする。乱暴な悟空ごくうを抑おさえるため、観音は頭を締しめつける緊箍児きんこじ(輪)と、それを締しめる呪文じゅもんを三蔵に授けた。続いて三蔵の馬を食べた竜王りゅうおうの子・玉竜ぎょくりゅうが白馬に姿を変えて乗り物となり、高老荘こうろうそうでは婿入むこいりしていた猪八戒ちょはっかいを、流沙河りゅうさがでは川に住む沙悟浄さごじょうを弟子に加える。ここに三蔵と三人の弟子、白馬の一行がそろう。

4
八十一の災難第23〜97回

物語の大部分を占しめるのが、妖怪ようかいや魔王まおうとの戦いの連続である。三蔵の肉を食べれば不老長寿ちょうじゅになれるという噂うわさから、妖怪ようかいたちは次々と一行を襲おそう。悟空ごくうが三度化け物を打ち殺して三蔵に破門される「白骨夫人」、名前を呼ばれて返事をすると吸い込こまれる瓢箪ひょうたんをもつ「金角・銀角」、炎ほのおを消すため芭蕉扇ばしょうせんを奪うばい合う「火焔山かえんざん」など、名場面の多くがこの部分にある。

5
天竺てんじく到着とうちゃくと成仏第98〜100回

14年の旅の末、一行はついに天竺てんじくの霊山りょうぜんに到いたり、釈迦如来しゃかにょらいから経典を授かる。ところが最初に渡わたされたのは文字のない白紙の経で、取り替かえてもらった帰り道にも、八十一に一つ足りない最後の災難が待っていた。経典を唐とうに届けた後、三蔵は旃檀功徳仏せんだんくどくぶつ、悟空ごくうは闘戦勝仏とうせんしょうぶつとなり、八戒はっかい・悟浄ごじょう・白馬もそれぞれ位を授かって物語は幕を閉じる。

主な登場人物

取経の一行
三蔵法師(玄奘)
三蔵法師さんぞうほうし(玄奘げんじょう)
唐とうの僧そう/旃檀功徳仏せんだんくどくぶつ

前世は釈迦しゃかの弟子・金蝉子きんせんし。慈悲じひ深いが気弱で、妖怪ようかいにさらわれてばかりいる。悟空ごくうの言うことを聞かず、だまされて悟空ごくうを破門することもある。

孫
孫悟空そんごくう
斉天大聖せいてんたいせい/闘戦勝仏とうせんしょうぶつ

石から生まれた猿さるの王。觔斗雲きんとうんで一飛び十万八千里を駆かけ、如意金箍棒にょいきんこぼうをふるい、72通りに姿を変える。頭の緊箍児きんこじに苦しめられながらも、一行の主力として妖怪ようかいと戦う。

猪
猪八戒ちょはっかい
元・天蓬元帥てんぽうげんすい/浄壇使者じょうだんししゃ

天界の水軍の大将だったが、月の女神嫦娥じょうがに言い寄った罪で地上に落とされ、豚ぶたの姿に生まれた。法名は悟能ごのう。大食いで怠なまけ者、すぐ「荷物を分けて解散しよう」と言い出す。

沙
沙悟浄さごじょう
元・捲簾大将けんれんたいしょう/金身羅漢こんしんらかん

天界の宴えんで玻璃はりの器を割った罪で流沙河りゅうさがに落とされ、旅人を食べる妖怪ようかいになっていた。まじめで温厚な性格で、荷物を担いで一行を支える。

玉
玉竜ぎょくりゅう(白竜馬りゅうば)
西海竜王りゅうおうの子/八部天竜てんりゅう

父の宝珠ほうしゅを焼いた罪で罰ばつを受けていたところを観音に救われ、白馬に姿を変えて三蔵を乗せて旅をする。

神仏と妖怪ようかい
観
観音菩薩かんのんぼさつ
取経の旅の発案者

釈迦如来しゃかにょらいの命で取経の人を探し、悟空ごくう・八戒はっかい・悟浄ごじょう・玉竜ぎょくりゅうを弟子になるよう導いた。旅の途中とちゅうでも、一行が窮地きゅうちに陥おちいるたびに救いの手を差しのべる。

釈
釈迦如来しゃかにょらい
西天・霊山りょうぜんの仏

天界で暴れる悟空ごくうと賭かけをし、手のひらから飛び出せなかった悟空ごくうを五行山に封ふうじた。経典を東の国に伝える取経の旅を計画する。

牛
牛魔王ぎゅうまおう
悟空ごくうのかつての義兄弟

悟空ごくうが花果山の王だった頃ころに義兄弟の契ちぎりを結んだ魔王まおう。妻の羅刹女らせつにょ(鉄扇公主てっせんこうしゅ)、子の紅孩児こうがいじとともに一行の前に立ちはだかる。

白
白骨夫人はっこつふじん
白骨の妖怪ようかい

娘むすめ・老婆ろうば・老人と三度姿を変えて三蔵に近づく妖怪ようかい。正体を見抜みぬいて打ち殺した悟空ごくうは、人殺しと誤解されて三蔵に破門されてしまう。

三蔵法師の肖像しょうぞう: 玄奘三蔵げんじょうさんぞう像 伝: 春日基光(14世紀、メトロポリタン美術館蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

有名なエピソード

大鬧天宮だいどうてんぐう(天界で大暴れ)
第5〜7回

天界の桃園とうえんの番人に任じられた悟空ごくうは、仙桃せんももや太上老君の仙丹せんたんを食べ尽づくし、天の軍勢を相手に大立ち回りを演じる。八卦炉はっけろで49日間焼かれても死なず、かえって物を見破る「火眼金睛かがんきんせい」を得た。

釈迦しゃかの手のひら
第7回

「手のひらから飛び出せたら天界を譲ゆずろう」という釈迦しゃかとの賭かけで、悟空ごくうは觔斗雲きんとうんで世界の果ての五本の柱まで飛び、目印に落書きをして戻もどる。ところがそれは釈迦しゃかの指で、悟空ごくうは一歩も手のひらから出ていなかった。

三打白骨精(白骨夫人を三度打つ)
第27回

悟空ごくうは化けた妖怪ようかいを三度打ち殺すが、三蔵には罪のない人を殺したとしか見えず、ついに悟空ごくうを破門する。師弟のすれ違ちがいを描えがいた、中国で最も人気のある場面の一つ。

金角・銀角
第32〜35回

太上老君の童子だった兄弟の魔王まおうが、名前を呼ばれて返事をした者を吸い込こむ紅い瓢箪ひょうたんで悟空ごくうを苦しめる。悟空ごくうは偽名ぎめいを名乗るなどの知恵ちえ比べで逆転する。

女人国
第53〜54回

女性だけが住む西梁りょう女国で、川の水を飲んだ三蔵と八戒はっかいが身ごもってしまう。女王に結婚けっこんを迫せまられた三蔵は、計略で国を抜ぬけ出す。

火焔山かえんざんと芭蕉扇ばしょうせん
第59〜61回

燃えさかる火焔山かえんざんを越こえるため、悟空ごくうは羅刹女らせつにょの芭蕉扇ばしょうせんを借りようとするが、だまされて偽物にせものをつかまされる。やがて牛魔王ぎゅうまおうとの総力戦となる、物語中盤ちゅうばんの山場。

年表:玄奘げんじょうの生涯しょうがいと西遊記の成立

602
玄奘げんじょうの誕生
洛陽らくよう近郊きんこうの緱氏こうし県に生まれる。俗名ぞくみょうは陳褘ちんい。13歳さいで出家した。
626
唐とうの太宗たいそうの即位そくい
玄武門げんぶもんの変を経て李世民りせいみんが即位そくい。西域への出国はまだ厳しく禁じられていた。
→
629
長安を出発
国の許可を得られないまま、玄奘げんじょうはひそかにインドへの旅に出る(627年とする説もある)。
→
631頃ごろ
ナーランダ僧院そういんに到着とうちゃく
インド仏教の最高学府で戒賢かいけんに師事し、約5年間学ぶ。
→
645
長安に帰還きかん
657部の経典を持ち帰り、熱狂ねっきょう的な歓迎かんげいを受ける。
→
646
『大唐西域記だいとうさいいきき』の完成
太宗の求めに応じて、旅した国々の地理や風俗ふうぞくをまとめた。
→
652
大雁塔だいがんとうの建立
持ち帰った経典を納めるため、長安の大慈恩寺だいじおんじに塔とうが建てられる。
664
玄奘げんじょうの死
帰国後は経典の翻訳ほんやくに生涯しょうがいをささげ、75部1335巻を漢訳した。
南宋なんそう
『大唐三蔵取経詩話だいとうさんぞうしゅきょうしわ』
猿さるの姿をした「猴行者こうぎょうじゃ」が三蔵を守る、現存最古の西遊記物語。
→
1592
『西遊記』の刊行
現存最古の100回本「世徳堂本」が南京で刊行される。
→

玄奘三蔵げんじょうさんぞうの旅をたどる

玄奘げんじょうは、各地で学ぶうちに、当時の中国に伝わっていた経典の翻訳ほんやくには誤りや食い違ちがいが多いことに気づき、仏教が生まれたインドで原典を学びたいと考えるようになりました。しかし建国まもない唐とうは国外への渡航とこうを禁じており、許可は下りません。玄奘げんじょうは629年、ひそかに長安を出発します。

西域のオアシス国家を経て天山山脈を越こえ、中央アジアからヒンドゥークシュ山脈を越こえてインドへ。ナーランダ僧院そういんで学び、インド各地をめぐった玄奘げんじょうは、帰りはパミール高原を越こえてタクラマカン砂漠さばくの南側を通り、645年に長安へ戻もどりました。往復およそ17年、訪れた国は110か国にのぼったといいます。

実際の海岸線をもとにした位置関係図です。朱色しゅいろの実線は往路、緑の破線は帰路のおおよその経路、番号は下の各地点です。

1長安2瓜州3高昌4亀茲5素葉城6サマルカンド7バーミヤン8ガンダーラ9ナーランダ10曲女城11于闐
1
長安唐とうの都(現在の西安)。629年にひそかに出発し、645年に帰還きかんした旅の起点と終点。
2
瓜州かしゅう・玉門関ぎょくもんかん唐とうの国境の関所を夜中に越こえた後、莫賀延磧ばくがえんせきの砂漠さばくで水袋ふくろを落とし、4夜5日のあいだ水を口にできずに進んだ。
3
高昌こうしょう(トルファン)仏教を篤あつく信じる高昌こうしょう王麹文泰きくぶんたいに引き留められるが、断食して出発を願い、義兄弟の契ちぎりを結んで旅の資金や従者を得た。近くには『西遊記』で知られる火焔山かえんざんがそびえる。
4
亀茲きじ(クチャ)名僧めいそう鳩摩羅什くまらじゅうの故郷として知られる仏教王国。雪で閉ざされた天山の峠とうげが開くのを60日あまり待った。
5
素葉城すいようじょう(スイアブ)凍死とうし者が続出した凌山りょうざんの峠とうげを越こえて到着とうちゃく。西突厥とっけつの可汗かがんに歓迎かんげいされ、西方の国々への紹介しょうかい状を得た。
6
サマルカンド(康国こうこく)ソグド人の交易都市。玄奘げんじょうは、仏教を信じていなかった王に教えを説いたと伝わる。
7
バーミヤン玄奘げんじょうは岩山に刻まれた金色に輝かがやく巨大きょだいな立像を記録した。この大仏は2001年に破壊はかいされた。
8
ガンダーラ仏像が初めてつくられた仏教美術の中心地(現在のパキスタン北西部)。玄奘げんじょうの頃ころにはすでに衰おとろえていた。
9
ナーランダ数千人の僧そうが学んだインド仏教の最高学府。玄奘げんじょうは高僧こうそう戒賢かいけんのもとで約5年間学び、その後インド各地をめぐった。
10
曲女城きょくじょじょう(カナウジ)北インドを統一した戒日王かいにちおう(ハルシャ王)が開いた大討論会で、玄奘げんじょうは論主を務めて名声を得た。
11
于闐うてん(ホータン)帰路、国禁を破った罪を許してもらうため太宗に上表文を送り、返事を待った。太宗は帰国を歓迎かんげいすると応じた。

高昌こうしょうや亀茲きじなど、玄奘げんじょうが通ったオアシス都市についてはシルクロードとはのページでも紹介しょうかいしています。

史実の玄奘げんじょうと物語の違ちがい

帰国した玄奘げんじょうを、唐とうの太宗たいそうは国禁を破った罪に問うどころか厚くもてなしました。太宗は西方の情報を求めて旅の記録をまとめるよう命じ、玄奘げんじょうが語った内容を弟子の弁機べんきが筆録して、646年に『大唐西域記だいとうさいいきき』が完成します。各国の地理・気候・風俗ふうぞく・仏教の様子を記したこの書は、7世紀の中央アジアやインドを知るための第一級の史料となっています。

一方、玄奘げんじょうの死後に弟子たちがまとめた伝記『大慈恩寺三蔵法師伝だいじおんじさんぞうほうしでん』には、砂漠さばくで幻まぼろしの軍勢を見る話や、観音菩薩かんのんぼさつに祈いのって危機を脱だっする話など、不思議な出来事も記されています。こうした逸話いつわが語り継つがれるうちに、旅は神仏と妖怪ようかいが入り乱れる冒険ぼうけん物語へと姿を変えていきました。

史実(『大唐西域記だいとうさいいきき』など)小説『西遊記』
出発国外への渡航とこうは禁じられており、許可のないまま国境をひそかに越こえた。太宗に「御ぎょ弟」と呼ばれ、国を挙げて送り出される。
同行者基本的には単独行。土地ごとに案内人や従者を雇やとい、途中とちゅうで別れた。孫悟空そんごくう・猪八戒ちょはっかい・沙悟浄さごじょうと白竜馬りゅうばが全行程を守る。
苦難砂漠さばくでの渇かわき、雪山での凍死とうしの危険、盗賊とうぞくの襲撃しゅうげきなど、自然と人間による苦難。三蔵の肉を狙ねらう妖怪ようかいや魔王まおうによる「八十一難」。
期間629年(627年説もある)〜645年の約17年。インドでの留学期間が長い。14年の旅で、天竺てんじくの霊山りょうぜんに着くとすぐ経典を授かる。
経典657部の経典を持ち帰り、帰国後19年をかけて翻訳ほんやくした。釈迦しゃかから5048巻の経を授かり、雲に乗って唐とうへ届ける。
インドから帰る玄奘を描いた敦煌の壁画
インドから帰る玄奘げんじょうを描えがいたとされる、敦煌とんこう莫高窟ばっこうくつ第103窟くつの壁画へきが(盛唐せいとう) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
大雁塔
玄奘げんじょうが持ち帰った経典を納めるために建てられた、西安の大雁塔だいがんとう / 写真: Alex Kwok / Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0

西遊記の成り立ちと作者

玄奘げんじょうの旅の物語は、宋代そうだいには盛り場の講談で語られるようになり、そのなかで猿さるの姿をした守り手が登場します。元代には芝居しばいや講談の台本で猪八戒ちょはっかいや沙悟浄さごじょうが加わり、明代の16世紀に、それらを集大成した全100回の長編小説『西遊記』が完成しました。

作者は淮安わいあん(現在の江蘇こうそ省)の文人・呉承恩ごしょうおん(1500頃ごろ〜1582頃ごろ)とされるのが一般いっぱん的です。ただし、明代の刊本には作者名がなく、20世紀に入って郷土の記録に「呉承恩ごしょうおんの著作に『西遊記』がある」とあることから呉承恩ごしょうおん説が広まったもので、それが小説を指すのかどうかには異論もあります。

『大唐西域記だいとうさいいきき』・『大慈恩寺三蔵法師伝だいじおんじさんぞうほうしでん』

唐代とうだい。玄奘げんじょうが語った旅の記録と、弟子の慧立えりゅう・彦悰げんそうによる伝記。史実を伝えるが、伝記にはすでに神秘的な逸話いつわも含ふくまれる。

『大唐三蔵取経詩話だいとうさんぞうしゅきょうしわ』

南宋なんそう期の刊本とされる語り物。白衣の秀才しゅうさいに化けた猿さる「猴行者こうぎょうじゃ」が三蔵を守り、沙悟浄さごじょうの原型「深沙じんじゃ神」も登場するが、猪八戒ちょはっかいはまだいない。

元代の雑劇・平話

演劇(雑劇)や講談の台本(平話)で、猪八戒ちょはっかいが加わり、一行の顔ぶれがそろっていく。平話は失われたが、明の『永楽大典』や朝鮮ちょうせんの中国語教科書にその一部が残る。

100回本(世徳堂本)

1592年に南京の書店・世徳堂が刊行した、現存最古の100回本。作者名は記されていない。

清代の改訂かいてい本

1663年刊の『西遊証道書』は、三蔵の出生の物語(父が殺され、赤子の三蔵が川に流される話)を第9回として加えた。今日の多くの版はこの形を受け継ついでいる。

日本での西遊記

翻訳ほんやくと挿絵さしえ本江戸時代えどじだい

18世紀半ばから翻訳ほんやく『通俗つうぞく西遊記』が刊行され、続編を重ねて広く読まれた。挿絵さしえ入りの『絵本西遊記』も人気を集め、浮世うきよ絵にも孫悟空そんごくうがたびたび描えがかれた。

文学・漫画まんが・アニメ昭和

中島敦なかじまあつしは沙悟浄さごじょうを主人公に、自分の生き方に悩なやむ姿を描えがいた『悟浄出世ごじょうしゅっせ』『悟浄歎異ごじょうたんい』を書いた。手塚治虫てづかおさむの漫画まんが『ぼくのそんごくう』は、東映動画の長編アニメ『西遊記』(1960年)の原案にもなった。

テレビドラマ『西遊記』1978年〜

日本テレビのドラマ『西遊記』は、堺正章さかいまさあきの孫悟空そんごくう、夏目雅子なつめまさこの三蔵法師で大ヒットした。三蔵法師を女性が演じるイメージはこの作品から定着し、2006年のフジテレビ版(香取慎吾かとりしんご主演)にも受け継つがれた。エンディング曲のゴダイゴ「ガンダーラ」は、玄奘げんじょうも訪れた仏教の地の名を歌っている。

『ドラゴンボール』1984年〜

鳥山明とりやまあきらの漫画まんが『ドラゴンボール』は、西遊記を下敷したじきに始まった作品である。主人公・孫悟空そんごくうの名前や、伸のび縮みする如意にょい棒、空飛ぶ筋斗雲きんとうんは西遊記から取られ、豚ぶたのウーロンには猪八戒ちょはっかいの面影おもかげがある。

西遊記についてのよくある疑問

Q.西遊記は実話ですか?

唐とうの僧そう・玄奘げんじょうが7世紀に国禁を破ってインドへ旅し、多くの経典を持ち帰ったことは史実です。ただし孫悟空そんごくう・猪八戒ちょはっかい・沙悟浄さごじょうや妖怪ようかいとの戦いは、玄奘げんじょうの死後数百年をかけて講談や芝居しばいの中で膨ふくらんだ創作です。玄奘げんじょうは実際には、ほとんど一人で旅をしました。

Q.「三蔵法師」は名前ですか?

名前ではなく称号しょうごうです。仏教の聖典である経(教え)・律(戒律かいりつ)・論(注釈ちゅうしゃく)の「三蔵」に通じた僧そうを三蔵法師と呼び、鳩摩羅什くまらじゅうなど玄奘げんじょう以外にも多くの三蔵法師がいます。日本ではとくに玄奘げんじょうを指すことが多く、「玄奘三蔵げんじょうさんぞう」とも呼ばれます。

Q.沙悟浄さごじょうはなぜカッパの姿なのですか?

原作の沙悟浄さごじょうは流沙河りゅうさがという川に住む妖怪ようかいで、カッパではありません。川の妖怪ようかいであることから、日本ではなじみ深い水の妖怪ようかいであるカッパに重ねられ、テレビドラマや漫画まんがなどを通じてその姿が広く定着しました。中国では、首に髑髏どくろの首飾くびかざりをかけた僧そうの姿で描えがかれるのが一般いっぱん的です。

Q.孫悟空そんごくうにモデルはいますか?

はっきりとはわかっていません。インドの叙事じょじ詩『ラーマーヤナ』に登場する猿さるの神ハヌマーンがもとになったとする説(胡適こせきなど)と、中国の古い伝説に出てくる淮河わいがの猿さるの姿をした水の怪物かいぶつ・無支祁むしきがもとになったとする説(魯迅ろじんなど)が知られています。

Q.物語の「天竺てんじく」や「霊山りょうぜん」はどこですか?

天竺てんじくはインドの古い呼び名です。霊山りょうぜんは、釈迦しゃかが説法をしたと伝わるインドの霊鷲りょうじゅ山(グリドラクータ)をもとにしていると考えられ、玄奘げんじょうが学んだナーランダ僧院そういんとも近い場所にあります。

玄奘げんじょうが生きた唐とうの時代の出来事や人物は、年表・人物ページもあわせてご覧ください。