五
五代十国 / 907 – 960
923王朝

後唐こうとうの建国

晋王李克用りこくようの子李存勗りそんきょくは、父の遺言(三本の矢に託した宿敵討伐の誓い)を胸に勢力を拡大し、923年についに後梁こうりょうを滅ぼして自ら皇帝(荘宗そうそう)に即位、国号を唐(後唐こうとう)と定めた。後唐はその後前蜀ぜんしょくも併合し、五代の中で最も広い版図を築いた政権として知られる。しかし荘宗は芝居や音楽を深く愛好し、自ら俳優のように舞台に立って「李天下」と名乗ったと伝えられるほど政務を疎かにし、寵臣や宦官の専横も相まって朝廷内の不満が高まっていった。926年には近衛軍の反乱(興教門こうきょうもんの変)により荘宗は殺害され、義兄弟の李嗣源りしげん(明宗めいそう)が新たに即位するなど、最大版図を誇りながらも後唐の政権基盤は終始不安定なままであった。

関連する建造物・国宝・人物
※ 画像はWikimedia Commonsのパブリックドメイン/CCライセンス素材を使用しています(各画像下にクレジット表記)
関連する人物
李存勗(後唐荘宗)
李存勗りそんきょく(後唐こうとう荘宗そうそう)
後唐こうとうの建国者。後梁こうりょうを滅ぼし五代で最大の版図を築いた一方、芸能に耽溺して政務を怠り、在位わずか数年で近衛軍の反乱により落命した。
『南薫殿図像』(国立故宮博物院蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
広告