禹の孫にあたる太康たいこうは狩猟や遊興にふけって政務を顧みなかったため、東方の有力な部族であった有窮氏ゆうきゅうしの首長・羿げい(后羿こうげい)に国政の実権を奪われたと伝えられる。羿は弓の名手として知られ、太康が都を留守にしている隙をついて実権を掌握したとされる。この事件により夏王朝は一時的に統治の実を失い、王家の権威が大きく揺らぐことになった。この故事は、為政者が享楽に溺れて職責を怠れば国を失うという教訓として、後世の史書でもしばしば引き合いに出される。