CHINESE HISTORY TIMELINE
中国史年表

「中国五千年史」- 新石器時代から現代まで、王朝・人物・出来事をスクロールして辿たどる

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中国 歴代皇帝こうてい一覧

「皇帝こうてい」という称号しょうごうは、紀元前221年に秦しんの始皇帝しこうていが初めて名乗り、1912年に清の宣統帝せんとうてい(溥儀ふぎ)が退位するまで、約2100年にわたって受け継つがれました。 分裂期の諸国しょこくまで数えると、その数は400人前後にのぼるといわれます。

このページでは、統一王朝と三国・南朝・五代の皇帝こうてい179人を、在位の順にひとこと解説付きで紹介しょうかいします。★は特に有名な皇帝こうていです。

皇帝こうていの呼び名のルール

中国の皇帝こうていは本名で呼ばれることはほとんどなく、時代によって一般的な呼び名の付け方が変わります。

  • 漢〜隋ずい:諡号しごう 死後に贈おくられる名。例:武帝、光武帝こうぶてい、煬帝ようだい
  • 唐とう〜元:廟号びょうごう 祖先そせんを祀まつる廟びょうでの名。例:太宗たいそう、玄宗げんそう、徽宗きそう
  • 明・清:年号 一代に年号が一つ(一世一元)なので年号で呼ぶ。例:洪武帝こうぶてい、康熙帝こうきてい

秦しん

221 – 206 BC・3人

史上初めて中国を統一し「皇帝こうてい」の称号しょうごうを生んだ王朝。わずか15年で滅ほろんだ。

都:咸陽かんよう | この時代の年表へ
  1. 1始皇帝しこうてい(嬴政えいせい)★
    221 – 210 BC

    六国を滅ほろぼして中国を統一。文字・度量衡どりょうこう・貨幣かへいを統一し、郡県制を敷しいた。 人物ページへ →

  2. 2二世皇帝にせいこうてい(胡亥こがい)
    210 – 207 BC

    宦官かんがん趙高ちょうこうに操あやつられ、「鹿を指して馬となす」の故事を生んだ。最後は自害に追い込こまれる。

  3. 3子嬰しえい秦王しんおう(嬴子嬰えいしえい)
    207 – 206 BC

    皇帝こうてい号をやめて秦王しんおうを名乗り、趙高ちょうこうを誅殺ちゅうさつ。在位46日で劉邦りゅうほうに降伏こうふくした。

前漢

202 BC – AD 8・15人

農民出身の劉邦りゅうほうが開いた約200年の王朝。武帝の時代に最大の版図を築いた。

都:長安ちょうあん | この時代の年表へ
  1. 1高祖こうそ(劉邦りゅうほう)★
    202 – 195 BC

    農民から身を起こし、項羽こううを破って漢を建国。人を使う才で天下を取った。 人物ページへ →

  2. 2恵帝けいてい(劉盈りゅうえい)
    195 – 188 BC

    母・呂后りょこうの苛烈かれつな粛清しゅくせいに心を病み、政治を顧みなくなったと伝わる。

  3. 3前少帝しょうてい(劉恭りゅうきょう)
    188 – 184 BC

    呂后りょこうが実権を握にぎる傀儡かいらい。呂后りょこうへの恨うらみ言が漏もれて廃位はいい・殺害された。

  4. 4後少帝しょうてい(劉弘りゅうこう)
    184 – 180 BC

    呂后りょこうの死後、呂氏りょし一族が粛清しゅくせいされると、ともに殺害された。

  5. 5文帝(劉恒りゅうこう)
    180 – 157 BC

    減税と倹約けんやくで民を休ませ、子の景帝とあわせて「文景の治」とたたえられる。

  6. 6景帝けいてい(劉啓りゅうけい)
    157 – 141 BC

    諸侯しょこう王の領地を削けずって呉楚七国ごそしちこくの乱を招くが、これを鎮圧ちんあつし中央集権を進めた。

  7. 7武帝(劉徹りゅうてつ)★
    141 – 87 BC

    匈奴きょうどを討うち西域へ進出、儒教じゅきょうを重んじた。在位54年で漢の全盛期を築く。 人物ページへ →

  8. 8昭帝しょうてい(劉弗陵りゅうふつりょう)
    87 – 74 BC

    8歳さいで即位そくいし、重臣霍光かくこうの補佐のもと武帝の遠征えんせいで疲弊ひへいした国力の回復に努めた。

  9. 9廃帝はいてい海昏侯かいこんこう(劉賀りゅうが)
    74 BC

    品行の悪さを理由にわずか27日で廃位はいい。近年その墓から大量の金が出土し話題になった。

  10. 10宣帝せんてい(劉詢りゅうじゅん)
    74 – 48 BC

    武帝の曾孫ひまごながら民間で育った苦労人。官吏かんりの綱紀こうきを正し、漢を中興させた。

  11. 11元帝(劉奭りゅうせき)
    48 – 33 BC

    儒教じゅきょうを重んじた温和な皇帝こうてい。後宮の王昭君おうしょうくんを匈奴きょうどの単于ぜんうに嫁とつがせた。

  12. 12成帝(劉驁りゅうごう)
    33 – 7 BC

    趙飛燕ちょうひえん姉妹を寵愛ちょうあい。外戚の王氏が台頭し、王莽おうもうの簒奪さんだつへの道を開いた。

  13. 13哀帝あいてい(劉欣りゅうきん)
    7 – 1 BC

    寵臣ちょうしん董賢とうけんの眠ねむりを妨さまたげぬよう袖そでを切った「断袖だんしゅう」の故事で知られる。

  14. 14平帝へいてい(劉衎りゅうかん)
    1 BC – AD 6

    9歳さいで即位そくいし、実権は王莽おうもうが掌握しょうあく。14歳さいで死去し、王莽おうもうによる毒殺説がある。

  15. 15孺子嬰じゅしえい(劉嬰りゅうえい)
    AD 6 – 8

    2歳さいで皇太子に立てられたが正式には即位そくいせず、「仮皇帝かりこうてい」王莽おうもうに位を奪うばわれた。

新

AD 8 – 23・1人

外戚の王莽おうもうが漢から帝位を奪うばって建てた一代限りの王朝。

都:長安ちょうあん | この時代の年表へ
  1. 1王莽おうもう★
    AD 8 – 23

    周しゅう代を理想とする復古ふっこ的改革を強行して社会を混乱させ、赤眉せきびの乱などの反乱で滅ほろんだ。 人物ページへ →

後漢

AD 25 – 220・14人

劉秀りゅうしゅうが再興した漢。幼い皇帝こうていが続き、外戚と宦官かんがんの争いの中で衰おとろえていった。

都:洛陽らくよう | この時代の年表へ
  1. 1光武帝こうぶてい(劉秀りゅうしゅう)★
    25 – 57

    漢を再興した名君。57年に倭わの奴国なこくに「漢委奴国王かんのわのなのこくおう」の金印を授さずけた。 人物ページへ →

  2. 2明帝めいてい(劉荘りゅうそう)
    57 – 75

    班超はんちょうを西域に派遣。夢に見た金人を求めて仏教を迎むかえたという伝説が残る。

  3. 3章帝しょうてい(劉炟りゅうたつ)
    75 – 88

    寛大な政治で知られ、父の明帝の時代とあわせて「明章の治」と呼ばれる安定期を築いた。

  4. 4和帝(劉肇りゅうちょう)
    88 – 105

    宦官かんがんと結んで外戚竇憲とうけんを排除はいじょし、宦官かんがん台頭の先例を作った。蔡倫さいりんの紙もこの時代。

  5. 5殤帝しょうてい(劉隆りゅうりゅう)
    105 – 106

    生後100日余りで即位そくいし、1年足らずで死去した中国史上最年少の皇帝こうてい。

  6. 6安帝(劉祜りゅうこ)
    106 – 125

    長く鄧太后とうたいこうが摂政せっしょうを務めた。親政後は乳母うばや宦官かんがんを重用し政治が乱れた。

  7. 7少帝しょうてい北郷侯ほくきょうこう(劉懿りゅうい)
    125

    外戚閻氏えんしに擁立ようりつされたが、在位約7か月で病死した。

  8. 8順帝じゅんてい(劉保りゅうほ)
    125 – 144

    宦官かんがん孫程そんていら19人のクーデターで即位そくい。宦官かんがんに養子ようしを認め、その力を強めた。

  9. 9沖帝ちゅうてい(劉炳りゅうへい)
    144 – 145

    2歳さいで即位そくいし、わずか5か月ほどで死去した。

  10. 10質帝しつてい(劉纘りゅうさん)
    145 – 146

    8歳さいで外戚梁冀りょうきを「跋扈ばっこ将軍」と呼んだため、梁冀りょうきに毒殺された。

  11. 11桓帝かんてい(劉志りゅうし)
    146 – 168

    宦官かんがんと結んで梁冀りょうきを倒たおしたが、今度は宦官かんがんが専横。党錮とうこの禁で官僚かんりょうを弾圧だんあつした。

  12. 12霊帝れいてい(劉宏りゅうこう)
    168 – 189

    官職を金で売るなど政治は腐敗ふはいをきわめ、184年に黄巾こうきんの乱が起きた。

  13. 13少帝しょうてい弘農王こうのうおう(劉弁りゅうべん)
    189

    即位そくいの数か月後、洛陽に入った董卓とうたくに廃位はいいされ、翌年殺害された。

  14. 14献帝けんてい(劉協りゅうきょう)★
    189 – 220

    董卓とうたく、のちに曹操そうそうに擁ようされた後漢最後の皇帝こうてい。曹丕そうひに帝位を譲ゆずった。 人物ページへ →

魏ぎ(三国)

220 – 265・5人

曹操そうそうの子曹丕そうひが建国。三国最大の国力を誇ほこったが、重臣の司馬氏に実権を奪うばわれた。

都:洛陽らくよう | この時代の年表へ
  1. 1文帝(曹丕そうひ)
    220 – 226

    献帝けんていから禅譲ぜんじょうを受けて魏ぎを建国。九品官人法を定め、文学者としても名高い。

  2. 2明帝めいてい(曹叡そうえい)
    226 – 239

    諸葛亮しょかつりょうの北伐を司馬懿しばいらに防がせた。晩年は宮殿の造営に熱中ねっちゅうした。

  3. 3少帝しょうてい斉王せいおう(曹芳そうほう)
    239 – 254

    卑弥呼ひみこに「親魏倭王しんぎわおう」の印が届いたのはこの治世の初め。司馬師しばしに廃位はいいされた。

  4. 4高貴郷公こうききょうこう(曹髦そうぼう)
    254 – 260

    「司馬昭しばしょうの心は路人ろじんも知る」と言い放ち、自ら兵を率いて司馬氏に挑いどんだが殺害された。

  5. 5元帝(曹奐そうかん)
    260 – 265

    在位中に蜀しょくが滅亡めつぼう。最後は司馬炎しばえんに帝位を譲ゆずった。

蜀しょく(蜀漢しょくかん・三国)

221 – 263・2人

漢の後継こうけいを名乗った劉備りゅうびの国。諸葛亮しょかつりょうの北伐で知られる。

都:成都せいと | この時代の年表へ
  1. 1昭烈帝しょうれつてい(劉備りゅうび)★
    221 – 223

    関羽かんう・張飛ちょうひと天下を目指し、諸葛亮しょかつりょうを「三顧の礼」で迎むかえた。夷陵いりょうの敗戦はいせん後に病死。 人物ページへ →

  2. 2後主こうしゅ(劉禅りゅうぜん)
    223 – 263

    魏ぎに降伏こうふく後、「ここは楽しく蜀しょくを思い出しません」と答えた逸話で知られる。在位40年。 人物ページへ →

呉ご(三国)

229 – 280・4人

孫権そんけんが長江ちょうこう下流域に建てた国。三国の中で最後まで残った。

都:建業けんぎょう | この時代の年表へ
  1. 1大帝(孫権そんけん)★
    229 – 252

    赤壁せきへきで曹操そうそうを退け、江南こうなんに独立政権を築いた。晩年は後継者こうけいしゃ争いで国を乱した。 人物ページへ →

  2. 2会稽王かいけいおう(孫亮そんりょう)
    252 – 258

    10歳さいで即位そくい。専横する重臣孫綝そんちんを除こうとして逆ぎゃくに廃位はいいされた。

  3. 3景帝けいてい(孫休そんきゅう)
    258 – 264

    孫綝そんちんに擁立ようりつされたが、計略をめぐらして孫綝そんちんを誅殺ちゅうさつした。

  4. 4末帝(孫晧そんこう)
    264 – 280

    残虐ざんぎゃくな暴政ぼうせいで人心を失い、晋しん軍に降伏こうふく。これで三国時代が終わった。

西晋せいしん

265 – 316・4人

司馬氏が建て、280年に三国を統一した王朝。一族の内乱と北方民族の侵入で崩壊ほうかいした。

都:洛陽らくよう | この時代の年表へ
  1. 1武帝(司馬炎しばえん)
    265 – 290

    呉ごを滅ほろぼし中国を再統一。統一後は羊ひつじの引く車で後宮を回るほど享楽きょうらくに溺おぼれた。

  2. 2恵帝けいてい(司馬衷しばちゅう)
    290 – 307

    飢饉ききんの報告ほうこくに「なぜ肉の粥かゆを食べないのか」と言った暗君。八王はちおうの乱を招いた。

  3. 3懐帝かいてい(司馬熾しばし)
    307 – 313

    311年の永嘉えいかの乱で匈奴きょうどの漢(前趙ぜんちょう)軍に捕とらえられ、のちに殺害された。

  4. 4愍帝びんてい(司馬鄴しばぎょう)
    313 – 316

    長安ちょうあんで即位そくいしたが包囲されて降伏こうふく。西晋せいしんはここに滅ほろんだ。

東晋とうしん

317 – 420・11人

華北かほくを失った晋の一族が江南こうなんで再建した王朝。皇帝こうていの力は弱く、名門貴族が政治を動かした。

都:建康けんこう | この時代の年表へ
  1. 1元帝(司馬睿しばえい)
    318 – 322

    名門王導おうどうらの支持で江南こうなんに晋を再建。「王と馬、天下を共にす」と言われた。

  2. 2明帝めいてい(司馬紹しばしょう)
    322 – 325

    父を苦しめた王敦おうとんの乱を平定へいていし、皇帝こうていの権威を立て直した。

  3. 3成帝(司馬衍しばえん)
    325 – 342

    5歳さいで即位そくい。蘇峻そしゅんの乱で一時都を占拠せんきょされ、幽閉ゆうへいされた。

  4. 4康帝こうてい(司馬岳しばがく)
    342 – 344

    兄の成帝から位を継ついだが、2年ほどで死去した。

  5. 5穆帝ぼくてい(司馬聃しばたん)
    344 – 361

    桓温かんおんが蜀しょくの成漢せいかんを滅ほろぼした。王羲之おうぎしの「蘭亭序らんていじょ」もこの時代(353年)。

  6. 6哀帝あいてい(司馬丕しばひ)
    361 – 365

    不老長生の丹薬たんやくを飲み続けて体を壊こわし、25歳さいで死去した。

  7. 7廃帝はいてい海西公かいせいこう(司馬奕しばえき)
    365 – 371

    権力者桓温かんおんに根拠こんきょの薄うすい醜聞しゅうぶんを理由に廃位はいいされた。

  8. 8簡文帝かんぶんてい(司馬昱しばいく)
    371 – 372

    桓温かんおんに擁立ようりつされた清談好きの皇帝こうてい。1年足らずで死去。

  9. 9孝武帝こうぶてい(司馬曜しばよう)
    372 – 396

    383年の淝水ひすいの戦いで前秦ぜんしんの大軍を撃退げきたい。寵姫ちょうきに冗談じょうだんを言ったため殺害された。

  10. 10安帝(司馬徳宗しばとくそう)
    396 – 418

    寒暑かんしょも分からなかったという皇帝こうてい。桓玄かんげんに一時帝位を奪うばわれ、最後は劉裕りゅうゆうに殺害された。

  11. 11恭帝きょうてい(司馬徳文しばとくぶん)
    418 – 420

    劉裕りゅうゆうに帝位を譲ゆずり、東晋とうしんは滅亡めつぼう。翌年殺害された。

宋そう(南朝)

420 – 479・8人

劉裕りゅうゆうが建てた南朝最初の王朝(劉宋りゅうそう)。倭わの五王が使いを送った相手でもある。

都:建康けんこう | この時代の年表へ
  1. 1武帝(劉裕りゅうゆう)
    420 – 422

    貧まずしい家から軍功で成なり上がり、北伐で長安ちょうあんを一時取り戻もどした。

  2. 2少帝しょうてい(劉義符りゅうぎふ)
    422 – 424

    遊びにふけって政務を怠おこたり、重臣たちに廃位はいい・殺害された。

  3. 3文帝(劉義隆りゅうぎりゅう)
    424 – 453

    30年の安定した治世は「元嘉げんかの治」と呼ばれる。最後は皇太子に殺害された。

  4. 4孝武帝こうぶてい(劉駿りゅうしゅん)
    453 – 464

    父を殺した兄を討うって即位そくい。皇帝こうてい権力の強化に努めた。

  5. 5前廃帝はいてい(劉子業りゅうしぎょう)
    464 – 465

    叔父たちを「猪王ちょおう」などと呼んで虐待ぎゃくたいした暴君ぼうくん。1年余りで殺害された。

  6. 6明帝めいてい(劉彧りゅういく)
    465 – 472

    「猪王ちょおう」と呼ばれた本人。即位そくい後は甥おいや兄弟を次々と殺した。

  7. 7後廃帝はいてい(劉昱りゅういく)
    472 – 477

    気まぐれに人を殺す暴君ぼうくんで、将軍蕭道成しょうどうせいの差し金がねで殺害された。

  8. 8順帝じゅんてい(劉準りゅうじゅん)
    477 – 479

    倭王武わおうぶの上表文を受けた皇帝こうてい。「二度と帝王の家には生まれたくない」と言い残した。

斉せい(南朝)

479 – 502・7人

蕭道成しょうどうせいが建てた(南斉なんせい)。わずか23年の間に7人の皇帝こうていが立った。

都:建康けんこう | この時代の年表へ
  1. 1高帝こうてい(蕭道成しょうどうせい)
    479 – 482

    宋そうの将軍から禅譲ぜんじょうを受けて即位そくい。倹約けんやくを重んじた。

  2. 2武帝(蕭賾しょうさく)
    482 – 493

    治世は「永明の治」と呼ばれ、南斉なんせいで最も安定した時代となった。

  3. 3鬱林王うつりんおう(蕭昭業しょうしょうぎょう)
    493 – 494

    国庫を浪費ろうひし、一族の蕭鸞しょうらんに殺害された。

  4. 4海陵王かいりょうおう(蕭昭文しょうしょうぶん)
    494

    蕭鸞しょうらんの傀儡かいらいとして立てられ、3か月ほどで廃位はいいされた。

  5. 5明帝めいてい(蕭鸞しょうらん)
    494 – 498

    自ら即位そくいした後、高帝・武帝の子孫をほぼ皆殺みなごろしにした。

  6. 6東昏侯とうこんこう(蕭宝巻しょうほうかん)
    498 – 501

    寵妃ちょうひ潘はん氏に金の蓮はすの上を歩かせ「歩歩蓮華れんげを生ず」と喜んだ暴君ぼうくん。

  7. 7和帝(蕭宝融しょうほうゆう)
    501 – 502

    蕭衍しょうえんに擁立ようりつされ、翌年その蕭衍しょうえんに帝位を譲ゆずった。

梁りょう(南朝)

502 – 557・4人

蕭衍しょうえん(武帝)の約50年の治世で南朝文化が最盛期さいせいきを迎むかえたが、侯景こうけいの乱で崩くずれた。

都:建康けんこう | この時代の年表へ
  1. 1武帝(蕭衍しょうえん)★
    502 – 549

    仏教に深く帰依し、何度も寺に「捨身しゃしん」した「皇帝菩薩こうていぼさつ」。侯景こうけいの乱で幽閉ゆうへいされ餓死がしした。

  2. 2簡文帝かんぶんてい(蕭綱しょうこう)
    549 – 551

    艶つややかな「宮体詩」の担にない手。侯景こうけいの傀儡かいらいとされ、のちに殺害された。

  3. 3元帝(蕭繹しょうえき)
    552 – 554

    江陵こうりょうで西魏せいぎ軍に敗れる直前、「読書万巻まんがんなお今日あり」と蔵書ぞうしょ14万巻を焼いた。

  4. 4敬帝けいてい(蕭方智しょうほうち)
    555 – 557

    陳霸先ちんはせんに擁立ようりつされ、のちに帝位を譲ゆずった。

陳ちん(南朝)

557 – 589・5人

陳霸先ちんはせんが建てた南朝最後の王朝。隋ずいの統一によって滅ほろんだ。

都:建康けんこう | この時代の年表へ
  1. 1武帝(陳霸先ちんはせん)
    557 – 559

    侯景こうけいの乱の平定へいていで頭角を現し、梁りょうから帝位を譲ゆずられた。

  2. 2文帝(陳蒨ちんせん)
    559 – 566

    武帝の甥おい。各地の反対勢力を破り、国内を安定させた。

  3. 3廃帝はいてい(陳伯宗ちんはくそう)
    566 – 568

    叔父の陳頊ちんぎょくに実権を握にぎられ、廃位はいいされた。

  4. 4宣帝せんてい(陳頊ちんぎょく)
    568 – 582

    北伐で淮南わいなんを奪うばったが、北周ほくしゅうに取り返され国力を消耗しょうもうした。

  5. 5後主こうしゅ(陳叔宝ちんしゅくほう)
    582 – 589

    詩と宴うたげに明け暮れた亡国の君主。隋ずい軍が来ると寵姫ちょうきと井戸に隠かくれた。

隋ずい

581 – 618・3人

約300年ぶりに中国を再統一した王朝。大事業を急ぎすぎて2代で滅ほろんだ。

都:大興城だいこうじょう(長安ちょうあん) | この時代の年表へ
  1. 1文帝(楊堅ようけん)★
    581 – 604

    589年に陳ちんを滅ほろぼし中国を再統一。試験で官吏かんりを選ぶ科挙を始めた。

  2. 2煬帝ようだい(楊広ようこう)★
    604 – 618

    大運河を完成させ、高句麗こうくり遠征えんせいに失敗。「日出づる処ところの天子」の国書を受けた皇帝こうてい。

  3. 3恭帝きょうてい(楊侑ようゆう)
    617 – 618

    長安ちょうあんに入った李淵りえんに擁立ようりつされ、翌年李淵りえんに帝位を譲ゆずった。

唐とう

618 – 907・22人

約290年続いた世界帝国ていこく。前半に繁栄はんえいを極きわめたが、安史あんしの乱以降は宦官かんがんや節度使せつどしの力が強まった。

都:長安ちょうあん | この時代の年表へ
  1. 1高祖こうそ(李淵りえん)
    618 – 626

    隋ずい末の混乱の中で挙兵し唐とうを建国。玄武門げんぶもんの変の後、子の李世民りせいみんに位を譲ゆずった。

  2. 2太宗たいそう(李世民りせいみん)★
    626 – 649

    諫言かんげんをよく聞き入れ、「貞観じょうがんの治」と呼ばれる理想の政治を行った名君の代名詞。 人物ページへ →

  3. 3高宗こうそう(李治りち)
    649 – 683

    白村江はくすきのえの戦い(663年)で倭わ・百済くだら軍を破り、高句麗こうくりも滅ほろぼした。政治の実権は武后ぶこうへ。

  4. 4中宗ちゅうそう(李顕りけん)
    684 / 705 – 710

    母の武后ぶこうにすぐ廃位はいいされ、のちに復位ふくい。皇后こうごう韋い氏に毒殺されたといわれる。

  5. 5睿宗えいそう(李旦りたん)
    684 – 690 / 710 – 712

    武后ぶこうの傀儡かいらいとして一度、韋后いこう打倒だとう後に再び即位そくい。子の玄宗に位を譲ゆずった。

  6. 6則天武后そくてんぶこう武則天ぶそくてん(武曌ぶしょう)★
    690 – 705

    国号を「周しゅう」と改めて自ら即位そくいした、中国史上ただ一人の女帝。 人物ページへ →

  7. 7殤帝しょうてい(李重茂りちょうも)
    710

    韋后いこうに擁立ようりつされたが、韋后いこうが倒たおされると半月余りで退位させられた。

  8. 8玄宗げんそう(李隆基りりゅうき)★
    712 – 756

    前半は「開元の治」で唐とうの全盛期を築いたが、晩年は楊貴妃ようきひに溺おぼれ安史あんしの乱を招いた。

  9. 9粛宗しゅくそう(李亨りこう)
    756 – 762

    安史あんしの乱のさなか、霊武れいぶで即位そくいしてウイグルの力も借りて反乱軍と戦った。

  10. 10代宗(李豫りよ)
    762 – 779

    763年に安史あんしの乱を終わらせたが、各地の節度使せつどしの自立は止められなかった。

  11. 11徳宗とくそう(李适りかつ)
    779 – 805

    780年に両税法りょうぜいほうを施行。節度使せつどしの反乱で一時都を追われた。

  12. 12順宗じゅんそう(李誦りしょう)
    805

    病身で即位そくいし「永貞えいていの改革」を試みたが、半年余りで退位させられた。

  13. 13憲宗けんそう(李純りじゅん)
    805 – 820

    反抗的な節度使せつどしを抑おさえて「元和げんな中興」を実現。最後は宦官かんがんに殺害された。

  14. 14穆宗ぼくそう(李恒りこう)
    820 – 824

    遊びを好んで政治を怠おこたり、丹薬たんやくの服用で体を壊こわして死去した。

  15. 15敬宗けいそう(李湛りたん)
    824 – 826

    夜の狐狩きつねがりや撃毬げっきゅうに熱中ねっちゅうした少年皇帝こうてい。18歳さいで宦官かんがんに殺害された。

  16. 16文宗ぶんそう(李昂りこう)
    826 – 840

    宦官かんがん一掃を狙ねらった「甘露かんろの変」に失敗し、以後は宦官かんがんの言いなりとなった。

  17. 17武宗ぶそう(李炎りえん)
    840 – 846

    大規模な仏教弾圧だんあつ「会昌かいしょうの廃仏はいぶつ」を行った。留学僧りゅうがくそう円仁えんにんがこれを目撃している。

  18. 18宣宗せんそう(李忱りしん)
    846 – 859

    倹約けんやくと勤勉きんべんな政治で「小太宗」と呼ばれた、晩唐ばんとうの名君。

  19. 19懿宗いそう(李漼りさい)
    859 – 873

    贅沢ぜいたくと仏舎利ぶっしゃりの盛大せいだいな奉迎ほうげいで国庫を傾かたむけ、反乱が相次いだ。

  20. 20僖宗きそう(李儇りけん)
    873 – 888

    黄巣こうそうの乱で長安ちょうあんを追われ成都せいとへ逃のがれた。撃毬げっきゅうの名手を自負していた。

  21. 21昭宗しょうそう(李曄りよう)
    888 – 904

    唐とうの立て直しを図ったが軍閥に翻弄ほんろうされ、朱全忠しゅぜんちゅうに殺害された。

  22. 22哀帝あいてい(李柷りしゅく)
    904 – 907

    朱全忠しゅぜんちゅうに帝位を譲ゆずって唐とうは滅亡めつぼう。翌年毒殺された。

五代

907 – 960・14人

後梁こうりょう・後唐こうとう・後晋こうしん・後漢・後周こうしゅうの5王朝が、約50年の間に華北かほくで次々と興亡こうぼうした。

都:開封かいほう・洛陽らくよう | この時代の年表へ
  1. 1太祖たいそ後梁こうりょう(朱全忠しゅぜんちゅう)
    907 – 912

    黄巣こうそう軍の部将から唐とうに寝返り、ついに唐とうを滅ほろぼした。息子に殺害された。

  2. 2郢王えいおう後梁こうりょう(朱友珪しゅゆうけい)
    912 – 913

    父の朱全忠しゅぜんちゅうを殺して即位そくいしたが、翌年弟に討うたれた。

  3. 3末帝後梁こうりょう(朱友貞しゅゆうてい)
    913 – 923

    宿敵李存勗りそんきょくに都を攻せめられ自害。後梁こうりょうは滅ほろんだ。

  4. 4荘宗そうそう後唐こうとう(李存勗りそんきょく)
    923 – 926

    戦場では無敵だったが、即位そくい後は役者を寵愛ちょうあいして自らも舞台に立ち、反乱で落命した。

  5. 5明宗めいそう後唐こうとう(李嗣源りしげん)
    926 – 933

    沙陀さだ族出身で字が読めなかったが善政を敷しいた。儒教経典の木版印刷もくはんいんさつが始まった。

  6. 6閔帝びんてい後唐こうとう(李従厚りじゅうこう)
    933 – 934

    義兄の李従珂りじゅうかに帝位を奪うばわれ、殺害された。

  7. 7末帝後唐こうとう(李従珂りじゅうか)
    934 – 936

    石敬瑭せきけいとうと契丹きったんの連合軍に敗れ、一族とともに楼閣ろうかくに火を放って死んだ。

  8. 8高祖こうそ後晋こうしん(石敬瑭せきけいとう)
    936 – 942

    契丹きったんの力を借りて即位そくいし、燕雲十六州えんうんじゅうろくしゅうを割譲。「児皇帝」と呼ばれた。

  9. 9出帝しゅってい後晋こうしん(石重貴せきちょうき)
    942 – 946

    契丹きったんへの臣従を拒こばんで戦ったが敗れ、捕とらえられて北方へ連れ去られた。

  10. 10高祖こうそ後漢(劉知遠りゅうちえん)
    947 – 948

    契丹きったん軍が引き上げた後の開封かいほうに入って即位そくい。1年足らずで病死した。

  11. 11隠帝いんてい後漢(劉承祐りゅうしょうゆう)
    948 – 951

    重臣を次々に殺し、郭威かくいの家族まで手てにかけたため反乱を招き殺害された。

  12. 12太祖たいそ後周こうしゅう(郭威かくい)
    951 – 954

    兵士に推おされて即位そくい。民の負担を減らし、五代の中では珍めずらしく堅実な政治を行った。

  13. 13世宗後周こうしゅう(柴栄さいえい)★
    954 – 959

    五代随一の名君。南唐なんとうから淮南わいなんを奪うばい、統一目前で病に倒たおれた。

  14. 14恭帝きょうてい後周こうしゅう(柴宗訓さいそうくん)
    959 – 960

    7歳さいで即位そくい。陳橋の変で趙匡胤ちょうきょういんに帝位を譲ゆずった。

北宋ほくそう

960 – 1127・9人

武人を抑おさえ文官が政治を担になう「文治主義」の王朝。経済・文化は栄さかえたが、北方民族の圧迫あっぱくに苦しんだ。

都:開封かいほう | この時代の年表へ
  1. 1太祖たいそ(趙匡胤ちょうきょういん)★
    960 – 976

    部下に黄袍こうほうを着せられて即位そくい(陳橋の変)。酒宴しゅえんで将軍たちの兵権を返上へんじょうさせた。

  2. 2太宗たいそう(趙光義ちょうこうぎ)
    976 – 997

    979年に北漢ほくかんを滅ほろぼし統一を完成。兄・太祖の急死には「燭影斧声しょくえいふせい」の謎なぞが残る。 人物ページへ →

  3. 3真宗しんそう(趙恒ちょうこう)
    997 – 1022

    遼りょうと「澶淵せんえんの盟めい」を結び、毎年の贈与ぞうよと引き換かえに平和を得た。

  4. 4仁宗じんそう(趙禎ちょうてい)
    1022 – 1063

    在位41年は宋で最長。范仲淹はんちゅうえんや包拯ほうじょうら名臣が活躍した。

  5. 5英宗(趙曙ちょうしょ)
    1063 – 1067

    実父の呼称こしょうをめぐる論争「濮議ぼくぎ」で朝廷が二分された。

  6. 6神宗しんそう(趙頊ちょうぎょく)
    1067 – 1085

    王安石おうあんせきを起用して富国強兵の「新法」を推進。新法党と旧法党の対立が始まった。

  7. 7哲宗てっそう(趙煦ちょうく)
    1085 – 1100

    祖母の摂政せっしょう期は旧法党、親政後は新法党を用い、政策が大きく揺ゆれた。

  8. 8徽宗きそう(趙佶ちょうきつ)★
    1100 – 1125

    書画の天才(痩金体そうきんたい)だが政治は乱みだれ、靖康せいこうの変で金きんに連れ去られた「風流天子」。

  9. 9欽宗きんそう(趙桓ちょうかん)
    1125 – 1127

    父の譲位じょういで即位そくいした直後に金きん軍に開封かいほうを攻略こうりゃくされ、父とともに北方へ連行された。

南宋なんそう

1127 – 1279・9人

金きんに華北かほくを奪うばわれた宋が江南こうなんで再建した王朝。最後はモンゴルに滅ほろぼされた。

都:臨安りんあん(杭州こうしゅう) | この時代の年表へ
  1. 1高宗こうそう(趙構ちょうこう)
    1127 – 1162

    金きんとの和平を優先し、抗戦こうせんを主張する岳飛がくひを処刑しょけい。「紹興しょうこうの和議」を結んだ。

  2. 2孝宗こうそう(趙昚ちょうしん)
    1162 – 1189

    岳飛がくひの名誉を回復した南宋随一の名君。北伐は失敗したが内政を整えた。

  3. 3光宗(趙惇ちょうじゅん)
    1189 – 1194

    嫉妬深しっとぶかい皇后こうごうに振ふり回されて心を病み、父の葬儀そうぎにも出なかったため退位させられた。

  4. 4寧宗ねいそう(趙拡ちょうかく)
    1194 – 1224

    朱熹しゅきの学問が「偽学ぎがく」として弾圧だんあつされた(慶元けいげんの党禁とうきん)。金きんへの北伐も失敗した。

  5. 5理宗(趙昀ちょういん)
    1224 – 1264

    モンゴルと組んで1234年に金きんを滅ほろぼした。朱子学しゅしがくを国の正統な学問に定めた。

  6. 6度宗たくそう(趙禥ちょうき)
    1264 – 1274

    政治を宰相さいしょう賈似道かじどうに任せきりにし、要地襄陽じょうようをモンゴル軍に奪うばわれた。

  7. 7恭帝きょうてい(趙㬎ちょうけん)
    1274 – 1276

    臨安りんあんを包囲ほういされて元に降伏こうふく。のちにチベットで出家しゅっけした。

  8. 8端宗たんそう(趙昰ちょうし)
    1276 – 1278

    臨安りんあん陥落後、福州ふくしゅうで擁立ようりつされた。元軍に追われて南へ逃のがれる途中で病死した。

  9. 9祥興帝しょうこうてい衛王えいおう(趙昺ちょうへい)
    1278 – 1279

    崖山がいざんの戦いで敗やぶれ、重臣陸秀夫りくしゅうふに背負せおわれて海に身を投げた。8歳さいだった。

元

1271 – 1368・11人

モンゴル帝国の第5代ハン、クビライが中国に建てた王朝。ハンの位をめぐる争いが絶えなかった。

都:大都だいと(北京) | この時代の年表へ
  1. 1世祖せいそ(クビライ)★
    1260 – 1294

    国号を「大元」と定め、南宋なんそうを滅ほろぼした。日本へも二度にわたって軍を送った(元寇)。 人物ページへ →

  2. 2成宗(テムル)
    1294 – 1307

    祖父クビライの遠征えんせい路線を改め、日本への三度目の出兵計画を中止ちゅうしした。

  3. 3武宗ぶそう(カイシャン)
    1307 – 1311

    恩賞おんしょうをばらまき、新しい紙幣を乱発して財政を悪化させた。

  4. 4仁宗じんそう(アユルバルワダ)
    1311 – 1320

    儒教じゅきょうを学んだ皇帝こうていで、元で初めて科挙を実施した(1315年)。

  5. 5英宗(シディバラ)
    1320 – 1323

    改革を進めたが、反発した重臣らに南坡なんぱで暗殺された(南坡なんぱの変)。

  6. 6泰定帝たいていてい(イェスン・テムル)
    1323 – 1328

    英宗えいそう暗殺後、モンゴル高原から迎むかえられて即位そくいした。

  7. 7天順帝てんじゅんてい(アリギバ)
    1328

    泰定帝の死後に即位そくいしたが、内乱(天暦てんれきの内乱)に敗れて行方不明となった。

  8. 8文宗(トク・テムル)
    1328 – 1332

    内乱に勝って即位そくい。一度兄に位を譲ゆずったが、兄の急死で復位ふくいした。

  9. 9明宗めいそう(コシラ)
    1329

    弟の文宗から位を譲ゆずられたが、わずか数か月で急死。毒殺説が根強い。

  10. 10寧宗ねいそう(イリンジバル)
    1332

    7歳さいで即位そくいし、2か月足らずで死去した。

  11. 11恵宗けいそう順帝じゅんてい(トゴン・テムル)
    1333 – 1368

    紅巾こうきんの乱が広がる中、明軍に大都だいとを追われてモンゴル高原へ退いた(北元)。

明

1368 – 1644・16人

漢民族が再び建てた王朝。皇帝こうてい一代に年号を一つだけ用いる「一世一元」が始まり、年号で皇帝こうていを呼ぶようになった。

都:南京 → 北京 | この時代の年表へ
  1. 1洪武帝こうぶてい太祖たいそ(朱元璋しゅげんしょう)★
    1368 – 1398

    貧農の子で托鉢僧たくはつそうから皇帝こうていに。宰相さいしょうを廃止はいしして独裁を強め、功臣を大量に粛清しゅくせいした。

  2. 2建文帝けんぶんてい恵帝けいてい(朱允炆しゅいんぶん)
    1398 – 1402

    叔父たちの力を削けずろうとして靖難せいなんの変を招き、都の陥落とともに行方不明となった。

  3. 3永楽帝えいらくてい成祖せいそ(朱棣しゅてい)★
    1402 – 1424

    甥おいから帝位を奪うばい北京へ遷都せんと。紫禁城しきんじょうを造営し、鄭和ていわの大航海を命じた。

  4. 4洪熙帝こうきてい仁宗じんそう(朱高熾しゅこうし)
    1424 – 1425

    父の遠征えんせいで疲つかれた民を休ませる政策をとったが、1年足らずで病死した。

  5. 5宣徳帝せんとくてい宣宗せんそう(朱瞻基しゅせんき)
    1425 – 1435

    父とあわせて「仁宣の治」と呼ばれる安定期を築く。コオロギ相撲を好このんだことでも知られる。

  6. 6正統帝せいとうてい英宗(天順帝てんじゅんてい)(朱祁鎮しゅきちん)
    1435 – 1449 / 1457 – 1464

    土木どぼくの変でオイラトの捕虜ほりょとなる。帰国後は幽閉ゆうへいされたが、クーデターで復位ふくいした。

  7. 7景泰帝けいたいてい代宗(朱祁鈺しゅきぎょく)
    1449 – 1457

    兄が捕とらわれた危機ききに即位そくいし、于謙うけんとともに北京を守り抜ぬいた。

  8. 8成化帝せいかてい憲宗けんそう(朱見深しゅけんしん)
    1464 – 1487

    19歳さい年上の万貴妃ばんきひを生涯寵愛ちょうあい。政治は宦官かんがんに任せがちだった。

  9. 9弘治帝こうちてい孝宗こうそう(朱祐樘しゅゆうとう)
    1487 – 1505

    皇后こうごうただ一人だけを妻つまとした珍めずらしい皇帝こうてい。勤勉きんべんな政治で「弘治中興」と呼ばれる。

  10. 10正徳帝せいとくてい武宗ぶそう(朱厚照しゅこうしょう)
    1505 – 1521

    遊びのための宮殿「豹房ひょうぼう」に入りびたり、自らを「大将軍」に任命して出陣した奔放ほんぽうな皇帝こうてい。

  11. 11嘉靖帝かせいてい世宗(朱厚熜しゅこうそう)
    1521 – 1567

    道教に傾倒けいとうして20年以上朝議に出ず。宮女たちに絞殺こうさつされかけた事件(壬寅じんいん宮変)もある。

  12. 12隆慶帝りゅうけいてい穆宗ぼくそう(朱載坖しゅさいき)
    1567 – 1572

    海禁かいきんを緩ゆるめて民間の海外貿易を認め、モンゴルとも和議を結んだ。

  13. 13万暦帝ばんれきてい神宗しんそう(朱翊鈞しゅよくきん)★
    1572 – 1620

    張居正ちょうきょせいの改革で国力を回復したが、その死後は30年近く政務を放棄ほうき。秀吉ひでよしの朝鮮出兵に援軍えんぐんを送った。

  14. 14泰昌帝たいしょうてい光宗(朱常洛しゅじょうらく)
    1620

    即位そくいから約1か月後、「紅丸こうがん」という薬を飲んだ翌日に急死した(紅丸こうがん事件)。

  15. 15天啓帝てんけいてい熹宗きそう(朱由校しゅゆうこう)
    1620 – 1627

    大工仕事に熱中ねっちゅうし、政治は宦官かんがん魏忠賢ぎちゅうけんの思おもうがままになった。

  16. 16崇禎帝すうていてい毅宗きそう(朱由検しゅゆうけん)
    1627 – 1644

    魏忠賢ぎちゅうけんを排除はいじょし立て直しに奔走ほんそうしたが、李自成りじせい軍に北京を攻せめ落とされ景山けいざんで自ら命を絶った。

清

1636 – 1912・12人

満洲まんしゅう族が建てた中国最後の王朝。康熙・雍正・乾隆の3代で最大の版図を築いた。

都:瀋陽しんよう → 北京 | この時代の年表へ
  1. 1太祖たいそ天命てんめい(ヌルハチ)
    1616 – 1626

    女真族を統一して後金こうきんを建国し、軍事・行政組織「八旗はっき」を創設した。

  2. 2太宗たいそう崇徳すうとく(ホンタイジ)
    1626 – 1643

    1636年に国号を「清」と改めて皇帝こうていを名乗り、民族名も「満洲まんしゅう」と定めた。

  3. 3順治帝じゅんちてい世祖せいそ(フリン)
    1643 – 1661

    6歳さいで即位そくい。叔父ドルゴンのもとで1644年に山海関さんかいかんを越えて北京に入った。

  4. 4康熙帝こうきてい聖祖せいそ(玄燁げんよう)★
    1661 – 1722

    在位61年は中国史上最長。三藩さんぱんの乱を平定へいていし台湾も併合へいごうした、清の黄金期おうごんきの礎いしずえを築いた名君。 人物ページへ →

  5. 5雍正帝ようせいてい世宗(胤禛いんしん)★
    1722 – 1735

    軍機処ぐんきしょを設け、後継者こうけいしゃ名を箱に隠かくす「太子密建たいしみっけん」を始めた猛烈もうれつな働はたらき者。

  6. 6乾隆帝けんりゅうてい高宗こうそう(弘暦こうれき)★
    1735 – 1796

    清の最大版図を実現し「十全老人」と自称。祖父の在位年数を超こえないよう退位した。

  7. 7嘉慶帝かけいてい仁宗じんそう(顒琰ぎょうえん)
    1796 – 1820

    父の死後すぐ汚職おしょく大臣だいじん和珅わしんを処断。白蓮教びゃくれんきょう徒の乱の鎮圧ちんあつに苦しんだ。

  8. 8道光帝どうこうてい宣宗せんそう(旻寧びんねい)
    1820 – 1850

    アヘンの取り締しまりからイギリスとのアヘン戦争に敗れ、南京条約を結んだ。

  9. 9咸豊帝かんぽうてい文宗(奕詝えきちょ)
    1850 – 1861

    太平天国たいへいてんごくの乱に加くわえ、アロー戦争で英仏軍が北京に迫せまり熱河ねっかへ逃のがれた。

  10. 10同治帝どうちてい穆宗ぼくそう(載淳さいじゅん)
    1861 – 1875

    母の西太后せいたいこうが実権を握にぎる。「同治中興」と呼ばれる立て直しの時期だが、19歳さいで死去した。

  11. 11光緒帝こうしょてい徳宗とくそう(載湉さいてん)
    1875 – 1908

    戊戌の変法で近代化を目指したが、西太后せいたいこうに幽閉ゆうへいされた。遺髪からヒ素が検出されている。

  12. 12宣統帝せんとうてい(溥儀ふぎ)★
    1908 – 1912

    2歳さいで即位そくいした「ラストエンペラー」。辛亥革命で退位し、のちに満洲国まんしゅうこくの皇帝こうていとなった。

皇帝こうていにまつわる記録

最長在位
康熙帝こうきてい(清)61年

孫の乾隆帝けんりゅうていは祖父に遠慮して60年で退位したが、その後も上皇として実権を握にぎり続けた。

最短在位
殤帝しょうてい(唐とう)約半月

前漢の劉賀りゅうが(27日)、明の泰昌帝たいしょうてい(約1か月)も短命の皇帝こうていとして知られる。

最年少
殤帝しょうてい(後漢)生後100日余り

後漢では幼帝ようていが続き、外戚や宦官かんがんが権力を握にぎる原因となった。

最長寿
乾隆帝けんりゅうてい(清)満87歳

2位は梁りょうの武帝(85歳さい)。ただし武帝は侯景こうけいの乱で幽閉ゆうへいされ、餓死がし同然の最期だった。

唯一の女帝
武則天ぶそくてん(周しゅう)

皇后こうごうや皇太后こうたいごうとして権力を握にぎった女性は多いが、自ら即位そくいしたのは彼女だけ。

庶民からの皇帝こうてい
劉邦りゅうほう・朱元璋しゅげんしょう

農民出身で天下を取った二人。朱元璋しゅげんしょうは托鉢僧たくはつそうだった時期もある。

なお清の滅亡後めつぼうごにも、1915年に袁世凱えんせいがいが帝政を宣言して「洪憲帝こうけんてい」を名乗りましたが、国内外の反発を受けてわずか83日で取り消しています。

最初の皇帝こうてい・始皇帝しこうていの生涯しょうがいや、歴代王朝が都を置いた場所についても別ページでまとめています。