李自成軍によって北京が陥落し明が事実上滅亡すると、山海関を守っていた明の武将呉三桂は、宿敵李自成を討つべく清の摂政ドルゴン(多爾袞)に援軍を要請し、関門を開いて清軍を招き入れた。清軍は李自成軍を撃破すると、その勢いのまま北京に入城し、幼い順治帝を迎えて満洲族による中国支配が事実上始まることとなる。清はまもなく漢人男性に対し満洲式の辮髪と剃髪を強制する「薙髪令」を発布し、「頭を留めれば髪を留めず、髪を留めれば頭を留めず」という強硬な布告のもと、江南各地で激しい抵抗運動(揚州十日・嘉定三屠など)を招くことになった。また南方では明の皇族を奉じる南明政権がなお抵抗を続けており、清が中国全土を完全に制圧するまでにはなお数十年の歳月を要することになる。