度重なる貨幣改鋳による経済混乱に加え、黄河の氾濫による飢饉が重なった山東地方で、樊崇を中心とする農民たちが蜂起した反乱である。敵味方を区別するため眉を赤く染めたことからこの名で呼ばれるようになったと伝えられ、当初は食料の略奪を目的とした素朴な集団であったが、新への不満を背景に急速に勢力を拡大していった。新の正規軍をたびたび打ち破りながら勢力圏を広げ、後には長安にまで進撃して一時的に政権を樹立するに至るが、明確な統治の理念や体制を欠いていたため長くは続かなかった。最終的には後漢を建てた光武帝劉秀の勢力に降伏し、反乱そのものは終息する。緑林の乱とともに、新末の社会混乱を象徴する二大農民反乱として位置づけられている。