唐を滅ぼした朱全忠(後の太祖)は開封(汴州)を都として後梁を建てたが、その支配基盤は決して安定したものではなかった。即位からほどなく後継者争いが起こり、実子朱友珪が父を弑逆して帝位を奪う事件が起きるなど、建国当初から宮廷内部の権力闘争が絶えなかった。また河北方面では、唐から独立していた有力な藩鎮である晋王李克用・李存勗父子の勢力が根強く残っており、後梁は華北全域を完全に掌握することができないまま、慢性的な軍事的緊張にさらされ続けた。このように後梁は五代の最初の政権でありながら短命かつ不安定な統治にとどまり、以後約半世紀にわたって短命政権が交代を繰り返す五代十国時代の幕開けとなった。