王莽は『周礼』が説く理想を実現しようとして、全国の土地を「王田」と称して国有化し私的な売買を禁じたほか、奴婢の売買も制限するなど、急進的な社会経済改革を次々と断行した。貨幣制度についても、それまで流通していた五銖銭を廃止して独自の新貨幣を発行し、その後も短期間のうちに何度も貨幣の種類や交換比率を改めるという混乱した政策を繰り返した。これらの改革は理念こそ壮大であったものの現実の経済実態を無視したものが多く、かえって流通の混乱と物価高騰を招き、農民や商人など社会のあらゆる層から強い反発を買うことになった。結局、王田制はわずか数年で撤回に追い込まれ、度重なる貨幣改鋳も民衆生活を疲弊させるだけに終わり、王莽政権に対する不信を決定的なものにしていく。この時期に鋳造された「一刀平五千」「布泉」などの新貨幣は、意匠の美しさから現在も貨幣史上の逸品として知られている。