唐建国当初、北方の東突厥は強大な軍事力を誇り、即位直後の太宗も一時は都長安近郊まで迫られ、屈辱的な和睦(渭水の盟)を結ばざるを得なかった。太宗はこの屈辱を糧に国力の充実を図り、630年には名将李靖に命じて陰山山脈方面から奇襲をかけさせ、東突厥の頡利可汗を捕らえてこれを滅ぼすことに成功した。この勝利により唐の国際的な威信は飛躍的に高まり、周辺の諸民族の君長たちは太宗を「天可汗(テングリ・カガン)」として共に推戴するようになったと伝えられる。以後、唐は東アジアにおける国際秩序の中心として、周辺諸国からの朝貢や留学生の受け入れなど活発な対外交流を展開していくことになる。