永嘉の乱で懐帝が連行された後、洛陽陥落を逃れた一部の皇族・重臣は長安で愍帝を擁立し、かろうじて西晋の命脈を保とうとした。しかし長安の防衛力はすでに乏しく、食糧も欠乏する中、316年に漢(前趙)の軍が再び攻め寄せると、愍帝はついに抵抗を諦めて降伏を選んだ。これにより280年の呉平定による天下統一からわずか37年で西晋は滅亡し、華北における統一政権は完全に失われることになった。愍帝もまた捕らえられて平陽に連行され、屈辱的な扱いを受けた末に処刑されたと伝えられている。西晋滅亡後、皇族の一人司馬睿が江南の建康で東晋を再建することで漢族王朝の命脈自体は保たれるが、華北の地は以後1世紀以上にわたり五胡十六国と呼ばれる異民族政権の興亡が続く分裂状態に置かれることになる。