大躍進政策の失敗により一時党内での影響力を後退させていた毛沢東は、自らの権威回復と、劉少奇・鄧小平ら実務を重視する党内実権派の排除を狙いとして、1966年に文化大革命を発動したとされる。「造反有理(反逆には道理がある)」のスローガンのもと、紅衛兵と呼ばれる若者組織が全国で動員され、既存の権威・知識人・伝統文化を「四旧(旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣)」として攻撃の対象とした。この過程で多くの知識人・幹部・一般市民が迫害を受け、農村への強制的な下放、暴力による負傷、自殺に追い込まれた事例が数多く記録されており、教育機関の長期閉鎖や貴重な文化財の破壊など、社会・文化面での損失も甚大なものとなった。1976年の毛沢東の死去と、江青ら「四人組」の逮捕によって混乱は事実上終結し、1981年に中国共産党自身が採択した公式の歴史決議は、文化大革命を「建国以来最も深刻な挫折と損失をもたらした」内乱であったと総括している。