文化大革命終結後の激しい党内権力闘争を経て、1978年12月に開かれた中国共産党第11期三中全会において、鄧小平は事実上の最高指導者としての地位を確立し、「階級闘争」路線から経済建設中心の路線への歴史的な転換を打ち出した。「白猫でも黒猫でもネズミを捕るのが良い猫である」という言葉に象徴される実利重視の姿勢のもと、農村では人民公社を解体して各農家が生産を請け負う「生産請負制」が導入され、農業生産性が大きく向上した。都市部・沿海部では深圳・珠海・厦門・汕頭に経済特区が設置され、外国資本や技術の導入、輸出加工型の産業育成が積極的に進められることとなる。この改革開放路線は以後数十年にわたり平均で年率2桁近い高度経済成長を持続させる出発点となり、中国が後に「世界の工場」と呼ばれる存在へと変貌を遂げる大きな転機となった。