長江下流域で覇を競った呉と越の両国は、数十年にわたり激しい抗争を繰り広げた。会稽で呉に大敗した越王勾践は屈辱的な講和を受け入れて臣従し、以後は苦い肝を嘗めて恨みを忘れぬよう自らを戒めながら国力の回復に努めたと伝えられる。一方の呉王夫差もまた、父の敗死の恨みを忘れぬよう薪の上に寝て復讐を誓ったとされ、両者の執念の物語はやがて「臥薪嘗胆」という故事成語として現代の日本語にも定着している。長年の雌伏の末に勾践は名臣范蠡らの補佐を得て呉を滅ぼし、最終的に中原にまでその名を知られる覇者となったと伝えられる。