前漢の元帝の皇后王政君の甥にあたる王莽は、外戚として長年にわたり朝廷内で権勢を築き、平帝の死後は幼い孺子嬰を摂政として実権を掌握した。やがて各地から瑞祥(吉兆)が相次いで奏上されるという形式を整えたうえで、紀元8年に孺子嬰から禅譲を受けて皇帝に即位し、国号を「新」と定めて前漢を終わらせた。王莽は儒学の経典、特に『周礼』に描かれた周代の理想的な統治を復興することを掲げ、次々と急進的な改革に着手していく。学識に優れ清廉な人物として当初は高く評価されていたが、即位後の改革は現実離れしたものが多く、かえって社会の混乱を深める結果を招くことになった。中国史上、禅譲という平和的な形式によって王朝が交代した最初期の事例としても知られている。