西晋の皇族司馬睿は、匈奴系の漢(前趙)による洛陽陥落(永嘉の乱)を逃れて江南に渡り、建康(現在の南京)を都として東晋を建てた。琅邪の名門貴族王導ら江南に移った北来の士族の支持を得て政権基盤を固め、「王与馬、共天下(王氏と司馬氏が共に天下を治める)」と評されるほど貴族層の発言力が強い政治体制が築かれた。これ以降、華北は五胡と呼ばれる諸民族の政権が興亡を繰り返す一方、江南では漢族の伝統文化を保持した東晋が約一世紀にわたり存続することになる。移住してきた北方の人々により江南の開発が急速に進み、後の南朝文化の繁栄と経済的な重心の南下の出発点となった。
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