歴史書『漢書』の編纂で知られる班固の弟である班超は、匈奴に対抗するための使節団の一員として西域に派遣されたのを機に、以後30年近くにわたり現地で活動を続けた人物である。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の故事で知られるように、少人数の従者とともに大胆な行動で西域諸国を次々と漢に服属させ、最終的には西域都護(西域統治の最高責任者)に任じられて広大な地域に影響力を及ぼした。武力による征服よりも、諸国間の対立関係を巧みに利用した外交交渉によって勢力を広げた点が班超の統治の特徴とされ、これにより一時中断していたシルクロード交易路の安定が回復した。晩年には部下の甘英を遠くローマ帝国(大秦)へ向けて派遣しようとするなど、当時の中国人が持ち得た西方世界への関心の広がりを示す逸話も残されている。班超の西域経営は、前漢の張騫が切り開いた交易路を後漢の時代においても維持・発展させた重要な事業として位置づけられている。