五
五代十国 / 907 – 960
951王朝

後周こうしゅうの建国(郭威かくい)

後漢こうかんの重臣であった郭威かくいは、若い隠帝いんていから謀反の疑いをかけられ一族を殺害される事態に陥ったことを機に挙兵し、その最中に隠帝が乱兵により殺害されると、諸将に推戴される形で自ら皇帝に即位し後周こうしゅうを建てた。郭威は即位後、重税の軽減や流民の帰農を促す施策を進めて荒廃した華北の民生回復に努め、五代の歴代政権に比べて相対的に安定した統治基盤を築いたと評価される。実子を持たなかった郭威は、皇后の甥にあたる有能な養子柴栄さいえい(後の世宗せいそう)を後継者に指名しており、この人選が結果的に後周、さらには後の宋による中国再統一への道筋を用意することになった。短命な政権が乱立した五代十国ごだいじっこくの中にあって、後周の建国は次代の統一に向けた重要な転換点として位置づけられる。

関連する建造物・国宝・人物
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関連する人物
郭威(後周太祖)
郭威かくい(後周こうしゅう太祖)
後周こうしゅうの建国者。荒廃した華北の民生回復に努めて統治基盤を安定させ、有能な養子柴栄さいえいを後継に指名したことで、後の中国再統一への流れを準備した。
『三才図会』(明代) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
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