986戦争・動乱
雍熙の北伐と楊業の戦死
燕雲十六州の奪還を悲願とする宋の太宗は、979年の高梁河の戦いでの大敗から7年後の986年(雍熙3年)、遼で幼い聖宗が即位したのを好機とみて、東・中・西の三路から大軍を北上させた。潘美を主将、楊業を副将とする西路軍は雲州・応州・寰州・朔州の四州を次々と攻略したが、幽州を目指した曹彬率いる東路の主力軍が岐溝関で遼の名将耶律休哥に大敗したことで、北伐は全面撤退に転じる。西路軍は攻略した四州の住民を宋の領内へ移す任務を負ったが、監軍王侁は危険を説く楊業を臆病者となじって出撃を強い、楊業は陳家谷の谷口に援軍の伏兵を置くよう求めて出陣した。しかし約束の援軍は持ち場を離れており、遼の耶律斜軫の大軍に包囲された楊業は奮戦の末に捕らえられ、食を絶って死んだと伝えられる。宋の北伐はこれを最後に事実上終わり、名将を見殺しにしたこの悲劇は、のちに楊一族の活躍を描く「楊家将」の物語として民間で語り継がれていく。
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関連する人物
北漢から宋に降った武将。遼との戦いで武名を轟かせ「楊無敵」と恐れられたが、雍熙の北伐で陳家谷に孤立して戦死した。「楊家将」物語の祖。
清代刊本『北宋志伝(楊家将演義)』挿絵 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
楊業の子で北宋の武将。父の死後も遼との国境を20年以上守り抜き、物語では「楊六郎」として知られる。
清代刊本『北宋志伝(楊家将演義)』挿絵 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
北宋建国期の名将。南漢平定などに功を立てたが、雍熙の北伐で楊業を救えず降格された。物語では楊家を陥れる悪役「潘仁美」として描かれる。
『潘氏族譜』(1887年) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
北宋の第2代皇帝で太祖趙匡胤の弟。北漢を滅ぼして中国本土の統一を完成させたが、燕雲十六州の奪還には二度失敗した。
『宋代帝半身像冊』(国立故宮博物院蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
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