夏の桀けつを鳴条めいじょうの戦いで破った湯王とうおうが、新たな王朝として殷(商)を開いたと伝えられる。湯王は名宰相伊尹いいんの補佐を受けて内政を整え、周辺諸侯の信望を集めたうえで夏打倒に踏み切ったとされる。殷代には青銅器の鋳造技術が飛躍的に発展し、祭祀や占卜を通じて王権の正統性を示す統治体制が本格化していった。なお殷の建国当初の都の所在地については諸説あり、後の盤庚ばんこうの遷都によって都が現在の河南省安陽あんようの地に定まるまで、幾度か遷都が繰り返されたと考えられている。